四段昇段は永瀬が一番早く、2009年10月に棋士になった。永瀬は三段リーグで印象に残った将棋に佐々木戦をあげている。佐々木は2010年3月に連勝すれば昇段という状況で最終日を迎えた。1局目の相手は菅井で、彼は2局残して四段昇段を決めていた。だが菅井は全力で戦い、佐々木に「中学生棋士」の肩書を与えなかった。それでも佐々木は次の三段リーグを14勝4敗で上がり、2010年10月1日で四段に。16歳1か月での四段は当時としては史上5番目の年少記録だった(後に藤井が14歳2か月で四段になって6番目となる)。石田門下にとっては15年半ぶりの棋士誕生だった。
高見も後を追いかける。2011年3月、高見は最終日に連敗して昇段を逃すという不運を味わった。このとき上がったのが同門の門倉啓太五段で、師匠はアベック昇段できなかったと残念がった。しかし、高見はめげることなく、2011年10月に18歳で四段に昇段した。佐々木が四段に上がった後わずか3年の間に、門倉、高見、渡辺大夢五段、実質石田門下の三枚堂と、4人も四段に昇段した。佐々木が石田一門に良い刺激を与えたのだ。
二人は真逆だった
棋士として一緒に仕事をするようになって、二人がなにもかも対照的なことに気づいた。高見はファンの顔と名前は必ず覚え、まめにはがきや手紙でお礼するなど気配りを欠かさなかった。一緒に仕事していても安心した。
佐々木は自由奔放天真爛漫で、どういう行動をするか読めず、彼との仕事はいつもハラハラした。
今から6年前にタイトル戦のイベントで指導対局したときのこと。佐々木の指導が最後まで残り、終わった後に佐々木が「穴熊の遠さが生きましたね」と言った。そうか下手が穴熊に組んで勝ったのかと盤面を見たら、佐々木が角落ち上手で居飛車穴熊にして攻め倒していた。
「なんで穴熊?」と聞くと、「駒落ちでも新しいことにチャレンジしたくて」。
控え室でその話をすると、正立会の木村一基九段が「いいじゃないか。まだ21歳なんだろ。それぐらい勝負にギラギラしていないと。それにプロに角落ちで挑むということは相手も強いわけで、思い切り負かしても良いんだよ」。さすがは木村、言うことが違うと感心したことを覚えている。
先日、木村はアベマトーナメントで佐々木をチームメイトに指名した。もともとともに研究会をしているという。
佐々木と高見は、将棋の棋風も違った。序盤から本筋を追求する佐々木と、終盤で相手を間違えさせる妖術を持つ高見。居飛車党で石田門下以外の共通点はなかった。