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保守論壇の重鎮・伊藤隆88歳が振り返る“つくる会”騒動「こういうところにはいたくないと思った」

伊藤隆さんインタビュー #2

2021/04/17

伊藤 自分から両親、祖父母、そこからさらにずっと辿っていくと、理屈としては1万数千年前、つまり縄文時代まで遡ることができるわけですよね。NHKの『ファミリーヒストリー』ですか、あれも非常に面白いですよね。僕はNHKは大嫌いだけど、あの番組は見てるんですよ。やっぱり先祖を遡っていくと、全然自分の知らない人が出てくるわけでしょ。でもNHKだって、その人の先祖の悪口なんか言わないですよ。そういうもんだと思うんです。

――そういうことを学校教育でやるべきなんだと。

伊藤 そうです。

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「つくる会」の分裂騒動

――教科書に関しては、96年に藤岡信勝さんに誘われて「新しい歴史教科書をつくる会」にも参加されていますね。当時の教科書を見て、あまりの酷さにこの状態を放置できないと思われた、と。

伊藤 びっくりしましたよ。日本のことを散々悪く書いているんですから。

――その「つくる会」について、伊藤さんは内部でかなり喧嘩があったとも書かれていますね。確かに分裂騒動などがありましたが、内部から見ても組織としてはあまりうまくいっていなかったんでしょうか。

 

伊藤 まぁまぁじゃないですか。何かというと大喧嘩しましたけど。藤岡氏が、何というのかな、敵を作って物事を進めるような人だったから、それをやっつけろという人たちも出てきて。僕はこういうところにはいたくないと思って、数人の人と一緒に辞めて別の組織を作ったんです。

――八木秀次さんと一緒に。

伊藤 八木さんを中心にしたんだけどね。「新しい歴史教科書をつくる会」は、相当賛同者が多くて、お金も潤沢だったんですよ。だけど、出ていく連中はそれをもらうわけにいかないからさ、無一文で出たわけ。で、僕らは新たに資金を作って、細々とやったわけですよ。藤岡たちからは散々攻撃されたけどね。

「くだらないことで喧嘩してるなあ」

――では、内部でいろんな喧嘩があったというのは、主に藤岡さんに原因があったということですか。

伊藤 ほとんど、そうですね。

――「つくる会」の会長は西尾幹二さんが長く務めていましたが、西尾さんの位置づけというのは?

伊藤 西尾氏と、それから藤岡氏は、自分たちが作った会だ、俺らの会だという意識が非常に強くて。人の意見なんてあんまり聞かないわけ。

――ちなみに西尾さんは、八木さんたちが「つくる会」から出たときのことを、生長の家系の人に乗っ取られそうになり、それを防ぐためだった、と仰っていました。それについては?

記者会見する「新しい歴史教科書をつくる会」の(左から)小林よしのり氏、田中英道理事、西尾幹二会長、藤岡信勝理事、中島修二理事、高森明勅事務局長(2001年撮影、肩書は当時) ©時事通信社

伊藤 いや、全然。

――全然違いますか。

伊藤 うん。

――一緒に「つくる会」を出た八木秀次さんのことは、どうご覧になっていますか。

伊藤 八木さんはね、道徳の教科書をつくるというときに、育鵬社に無理を言って、育鵬社がとてもじゃないけどそんなお金はないと言って……それをきっかけに離れていったんです。だから、今はあんまり付き合っていません。

――「つくる会」ですと、八木さんたちの少し前に、小林よしのりさんと西部邁さんも出ていきましたね。