――みんな仲良くなったのですか?
山根 実は私は人見知りで……。今は仲良しの和田あき女流初段とも、中学選抜で対局したのに、感想戦だけでおしゃべりはしませんでした。高校1年の高校選手権全国大会女子の部で、私は準決勝で脇田菜々子女流初段に時間切れで負けて3位、和田女流初段が優勝でした。時間切れ負けは初めてで、ショックではあったのですが、そのときに初めて和田女流初段とおしゃべりしたのをよく覚えています。同学年で、近い時期に女流3級になり、それから急激に仲良くなりました。
――大会の対局の合間に詰将棋を解いている山根先生の姿をお見掛けしたことがあります。すごく真剣に参加されていたのではないかと。中3では中学選抜史上初の3連覇がかかっていたのですよね。
山根 大会で詰将棋はよく解いていました。中3の中学選抜では、優勝を意識して参加していました。決勝は1学年下の石本さくら女流二段とでした。結果は負けてしまい、感想戦で検討しているときに詰みを逃したことが分かって、ショックでした。私は序盤の勉強をしていなかったから、そこで負けるのは仕方ない。でも詰将棋は得意で終盤には自信を持っていました。あんなに詰将棋を解いたのに、どうして逃してしまったのかと涙があふれました。帰りの新幹線でもずっと泣いて、愛媛に帰っても1週間くらい思い出しては泣いていました。夢にも詰みを見つけられなかった盤面が出てきました。
人前に出るのはすごく緊張して苦手
――大会では負けてよく泣いていたのですか。
山根 そんなことはなくて、この時と級位者だったころの地元の女の子の大会で、同じ道場の子に負けた時の2回だけです。文部科学大臣杯団体戦では小5で優勝して、小6はみんなの戦力もアップして連覇が期待されていたのに、西日本大会の2戦目で負けてしまいました。予選は全チーム3戦で、負けて予選落ちが決まっても、次を指さないといけないシステム。藤岡君はずっと泣きながら対局しつつ、相手をボコボコにしていました。私は泣かなかったし、そんな藤岡君を見てちょっと笑ってしまったくらい。泣くタイプではありませんでした。
――藤岡さんは山根先生のことをメンタルが強くて、いつも安定して力を出せたとおっしゃっていました。あまり大会で緊張するタイプではなかったのですか。
山根 大会に関しては緊張で力が出ないことはあまりなかったです。ただ、物おじしないわけではないです。人前に出るのはすごく緊張して苦手。今でもそれは克服できていません。
写真=鈴木七絵/文藝春秋
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