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「あんな冷たい手、初めてや。セクシーやった」

「あんまり何にもしないのも失礼かなと思って、帰りがけに『記念に手をさわらせて』って言うたん。冷たくて、投げやりな手やった」

 投げやりな手って?

「意思のない手。体のパーツとしてついているだけの手」

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 でも、手を握れてうれしかった?

「うん。めちゃくちゃうれしかった。あんな冷たい手を触ったの、初めてや。セクシーやった」

飛田新地の料亭 ©️永田収

 整理すると、こういうことだ。飛田の店は「料亭」である。曳き手おばさんの言う「にいちゃん、遊んで行ってや」の「遊び」とは、料亭の中で、ホステスさんとお茶やビールを飲むこと。お客が案内される部屋はホステスさんの個室。その中で、偶然にも「ホステス」さんとお客が「恋愛」に陥る。恋愛は個人の自由。恋愛がセックスに発展することもあるが、それは決して売春ではない。だから、支払う料金も、女性の体を買ったために発生する料金ではなく、ビールやジュースや菓子の料金である……と、今、表向きにはそういうシステムなのだ。

飛田の料亭へ杖をついた老人がぞろぞろと…

 お客にとってのメリットは、料金が明解なこと。「ホステスさん」にとってのメリットは、お客と「恋愛」する場所が料亭内のため、危険がないこと。仮に怪しいお客で、身に危険が迫ったら、大声を出して階下にいる経営者や曳き手おばさんにすぐさま助けを求めることができる。そして、ソープのように全身を使ってサービスするのではなく本番だけなので、肉体的に重労働でないこと。考えようによっては、お客、ホステスさん双方に合理的な場所だ。

飛田新地 ©️永田収

 そんなことを考えながら、私はその後幾日も界隈を歩いた。そして、早春のある朝、びっくりする光景を見てしまった。

 飛田からわずかに離れた場所に、「○○苑」と老人ホームらしき名が書かれた1台のマイクロバスが止まった。その中から出て来たのは、見るからに高齢のおじいさん数人。ジャージー姿でよっこらしょとバスから降りた後、そのおじいさんたちは、杖をついてのろのろ、とぼとぼと歩く。のろのろ、とぼとぼと歩いて料亭の中へ入って行ったのだった。(#6へ続く)

さいごの色街 飛田 (新潮文庫)

理津子, 井上

新潮社

2015年1月28日 発売

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