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滞在時間45分でママに心を掴まれて

「今、座ってはる人、かなりベテラン?」

「見てのとおりやよ。長いつきあいで、一所懸命働きます、って頼むから、もうちょっとおらしてあげよと思てるんやけど、ほら、今日もぜんぜんお客つかへんでしょ」

「不景気?」

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「それもあるやろけど……」

 と言っている間に、裏口から革ジャンを着た若い女の子が入ってきた。「8時半からの子」だという。時計を見たら、もうすぐ9時だ。

「何時やと思てるのよ。遅れるんやったら電話くらいしてくるのが常識でしょ。何回言うたら分かるの」と、ママはいきなりガミガミと怒る。

 女の子は、「ごめん」と肩をすくめて、「着替えてきます」と2階へ上がって行った。

「ルーズなん、今の子。平気で1時間2時間遅れてくる。水商売かてふつうの勤め人と一緒やのに、当たり前の常識がないから困る。なんぼ言うたかて腕にタトゥ入れるし」と、ママがこぼした。

©️酒井羊一

 潮時だ。出よう、とタカヤマと目配せする。

「ママ、タカヤマさん、考えるって言うてるから、返事ちょっと待ったげてね」

 最後にママは「なるべく早く返事ちょうだいね。日曜でも、遊びに来るつもりで気楽にちょっと座ってみたらええから、待ってるよ」と重ねて言った。滞在時間45分。外へ出たら、2人ともへなへなと倒れ込みそうになった。

 その後、新世界に出て、2人でビールを飲み、串カツを食べた。

©️酒井羊一

 タカヤマは「あのママのこと、好きになった」と真顔で言う。「50歳で島根から大阪へ来たのは、よほどのことやったに違いない。きつかったやろなぁ」と繰り返す。「顔立ちのきれいな人やと、ずっと顔を見ていた」とも。タカヤマは毎年、年末に車で帰省する。その時にママを乗せてあげて、一緒に島根へ帰りたくなったと、普段は快活に喋るタカヤマが、この日は訥々とそう話した。

さいごの色街 飛田 (新潮文庫)

理津子, 井上

新潮社

2015年1月28日 発売

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