『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公である碇シンジの半分は、声優・緒方恵美の声で出来ている。そう書いても、異論の声はあまりないのではないかと思う。4月28日に角川書店から刊行された緒方恵美の自伝『再生(仮)』では、碇シンジ役選考に関する驚くべき逸話が明かされている。緒方恵美は実は、碇シンジ役の第一回オーディションに参加していなかったのだ。

新型コロナウイルス感染拡大などによる複数回の公開延期を乗り越えて迎えた初日・3月8日の映画館(写真は新宿) ©共同通信社

「あなたに演じてもらいたい」と訴えた庵野

 1994年の夏、人気アニメ『美少女戦士セーラームーンS』の番組旅行に参加した緒方恵美は、宿のエレベーターの中で突然、演出家の庵野秀明に話しかけられる。

「今度新しく始まるテレビアニメの主役をあなたに演じてもらいたいと思っていたのだが、オーディション参加を断られたと聞いた。再度二次を受けてもらえないか。自分や、うちのスタッフがあなたに何か失礼なことをしたのだろうか」

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 要約すればそうした内容で、言うまでもなくその新作こそ『新世紀エヴァンゲリオン』、「主役」とは碇シンジ役のことである。事務所からまったく話を聞いていなかった緒方恵美は驚く。どの作品に出演するかは当時、声優の所属事務所が決定することで、必ずしも声優が決めるわけではなかったからだ。

「自分は知らなかった、この役を受けたい」と相談した緒方恵美に対し、所属事務所は「監督が声優に直接交渉するのはルール違反だ、絶対に参加させない」と激怒したという。だが裏を返せばそれは、監督・庵野秀明が碇シンジ役にそれほど緒方恵美を熱望していたということでもある。

 エヴァのオーディションでは、当初綾波レイ役を受けた宮村優子がアスカ役に決まるなど、声優の適性を見極め、柔軟で流動的にキャストが決定される中、シンジ役に限っては第一希望も第二希望も緒方恵美だったわけだ。最終的に緒方恵美は事務所を押し切る形で碇シンジ役を受けることを決める。

空白ばかりの特殊な主人公・碇シンジ

 碇シンジは日本アニメ史においてあまりにも特殊な主人公である。『エヴァ』を特別なものにしたのは、一にも二にも14歳の主人公の鮮烈な人物造形だったと言っていい。だが1995年に放送されたTVシリーズを見返して驚くのは、碇シンジに対する過去の説明や情報が驚くほど少ないことである。