エヴァ声優が得た人気、そして呪縛
それはある面では、声優たちに商業的成功と人気をもたらす福音ではあった。宮村優子の出世作となったエヴァのアスカ役は、新人の彼女を一躍人気声優に押し上げた。まだデビュー2年目の彼女は普段の声のトーンや話し方までもアスカに似ていたのだ。ファンは彼女とキャラクターを重ね、人気は沸騰した。
だがそれは、同時にある種の呪縛としても重くのしかかった。テレビ放送終了後まもない1996年7月号の『アニメージュ』で、宮村優子は対談相手の庵野秀明の「アニメファンの依存、偽物の幸せに水をかけた」という趣旨の発言に対し、「作り手としてそれはするべきではない」という意味の反論をしている(当時すでにカリスマ的監督だった庵野秀明に対して、新人の身で平然とそう言ってのけるような所も彼女は実に「アスカ的」だったのだ)。
だが一方で、宮村優子はそうした依存の危険性にも触れ、「ファンレターに自分の悩みを書いてくれるのはいい、でも『なぜ返事をくれないんだ』と言うのは違う」と困惑を吐露している。声優とキャラクターの同一視、とりわけエヴァという作品でのシンクロは、声優たちにも大きな負担、呪いとしてのしかかっていた。
碇シンジが心の中心に居続けた、庵野監督の26年間
『エヴァ』に呪縛され続けたのはファンだけではない。1995年から2021年までの26年間、庵野秀明は事実上『碇シンジの物語』に呪われ続けた。35歳から60歳、それは宮崎駿の監督人生で言えば『ルパン三世 カリオストロの城』から『千と千尋の神隠し』までがすっぽり入ってしまうほど長い時間だ。
いくつかの他の作品を作り、実写特撮映画『シン・ゴジラ』をヒットさせたとはいえ、この四半世紀、アニメ監督としての彼の中心から碇シンジが消えることはなかったのではないか。『ライ麦畑でつかまえて』の主人公を生み出し、アメリカに旋風を起こした小説家サリンジャーが終生それに呪われたように、それは庵野秀明自身が開けた自分の中のパンドラの箱だった。
今年公開された完結編、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で庵野秀明はその物語を見事に閉じた、と多くの肯定的な批評が書かれた。僕もその評価に異論はない。だがあの長い呪いの物語を閉じたのは、巧みな脚本や演出ではなかったと思う。
庵野秀明は『シン・エヴァ』の中で、かつて旧作で絶賛された彼独特のスタイリッシュな演出手法の大半を捨てている。第三村からラストの父親との対決に至る映画の中心には、90年代のファンを熱狂させ多くの考察を生んだ衒学的な学術用語もケレンに満ちた演出もない。精神分析や哲学書の引用をいくら重ねても14歳の少年の問いに答えることはできないというように、庵野秀明はただ災害の下で懸命に生きる人々を描いていく。