「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」
生きた人間の声が紙の絵に命を吹き込んで始まった恐るべき物語は、人間の声でしか終わらせることができない。
庵野秀明はこの完結編で、止まった14歳の時間を動かす最後の説得力を声優たちの肉声に委ねているように見える。人々の声の中で碇シンジが変化し、クライマックスでついに口にする「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」という緒方恵美の声でこの物語が終わらなければ、もしも観客がその声に納得せず、パンドラの箱の蓋が閉じなければ、その責任は監督である庵野秀明がすべて引き受ける、今回の完結編はそういう構成に思えた。
それはかつて宮村優子が悩んだ、「なぜ自分には返事をくれないのか」と依存するファンに対する、25年をかけて書いた返事の手紙になりえていたと思う。生きるべきか死すべきかという観客の問いへの答えは、作り手たちが生き続けることで答えるしかないのだ。たとえそれがやり直しのきかない、一度きりの痛みに満ちた生であろうとも。
緒方恵美は自伝『再生』の中で、難病による家族の死に加え、プライベートなアイデンティティを含む自分の生について書いている。だがそれはこの無粋な場所に書き写すより、それが書かれたページの上で、書かれたままに静かに読まれるべき言葉だ。
あなたはそれを読む時、なぜ天王はるかや碇シンジという、従来の男女の枠から外れた新しい少年少女像を緒方恵美があれほど魅力的に演じられたのかを知る、あるいは自分がすでに知っていたことに気がつくだろう。本当のことは歌の中にある、と名曲の歌詞が歌うように、優れた俳優は作品の中ですでに自分について多くの告白を残しているのだ。
子どもたちを抱き止める側の世代
古傷の再発に杖をつきながら、緊急事態の中、舞台表現のために声を上げ、次の世代のために声優教育の私塾で教え続ける緒方恵美の姿は、ジブリを継承するように第三村の生活を描く庵野秀明の姿にも重なる。『生きろ』と説教をしてくれた旧世代がいなくなるなら、かつて新世代だった緒方恵美や庵野秀明がその代わりをしなければならない。彼らはもうライ麦畑を駆け抜ける14歳ではなく、次の世代の14歳たちが断崖から落ちる寸前に抱き止める側になったのだ。
たぶん、声優たちはこの物語を閉じることに成功したのだろう。そしてこの14歳についての物語は、もう制御不能なパンドラの箱ではなく、人間的な結末を持つ物語として映画史に静かに置かれるのだろう。それは未来の世代にとっての福音であるはずだ。50年後も100年後も、生まれてきたチルドレンはやがて14歳になり、そしていつかは必ず14歳でなくなるのだから。
2021/05/10 01:15…読者からの指摘により、以下内容を修正いたしました。
3P目「宮村優子は緒方恵美に首を絞められる姿勢で声を録音した。」→「宮村優子は緒方恵美に首を締められるシミュレーションをした上で録音した。」