碇シンジの弱さと強さを演じ分けた緒方恵美
『宇宙戦艦ヤマト』の放送開始を14歳の時に体験した最初の世代のクリエイターである庵野秀明は、日本のテレビアニメにおいて声優がどれほど特殊で決定的な存在であるかをよく知っていたのではないか。
不安定な作画の中でキャラクターの自己同一性を支え、視聴者に対してキャラの人格として認識されるのが実は声優の声であること、ジブリやディズニーはいざ知らず、時に紙芝居とも揶揄されるテレビアニメは文字通り紙に描かれた絵に命を吹き込む「芝居」、声優の演技が動かしていること、彼ら声優こそが日本アニメの見えざる立役者であることを少年時代からファンとして知っていたからこそ、庵野秀明は碇シンジ役に緒方恵美を絶対に必要としたのだろう。
その庵野秀明の熱望に、緒方恵美は十分すぎるほど答えた。碇シンジは、ただ可愛らしく甘美な美少年として演じればすむキャラクターではなかった。ある面では他人の気配にも揺らぐような繊細な枝と葉を持ちながら、一方で暴風雨にも動かないような幹と根を張った、思春期特有の頑なさがなくてはならなかった。引きこもったり登校拒否になるのにも、それなりに根性とガッツが必要なのである。
緒方恵美はチェロの音域を上から下まで使いきり、まるで宮沢賢治の童話『セロ弾きのゴーシュ』の主人公が、ある時は野ねずみの子の病気を癒す繊細さで、ある時は聴衆を叩きのめす激しさでチェロを弾くように、碇シンジの弱さと強さを演じ分けていく。
声優とキャラクターのイメージをあえて重ねた演出
エヴァのメインキャラの多くが、担当声優と同じ誕生日に設定されている。庵野秀明は脚本を書く中で、しばしば声優たちとキャラクターのイメージを重ね、その生身のリアリティをキャラクターに転写しているように見える。エヴァがそれに乗り込む14歳の魂とのシンクロを求めるように、庵野秀明は声優とキャラクターの共振を求めたのだ。
よく知られるように、劇場映画『Air/まごころを、君に』のラストシーンに合わせ、宮村優子は緒方恵美に首を締められるシミュレーションをした上で録音した。
驚くべきことに、監督である庵野秀明から今後のストーリー展開やキャラクターの行動を相談されたという声優の証言は事欠かない。緒方恵美の、林原めぐみの、宮村優子の、三石琴乃の、山口由里子の人間としてのリアルな肉声をキャラクターに注ぎ込むこと、いわば本物の血で虚構の絵を描き上げるようにリアリティを求める演出手法は、異様な迫力を作品にもたらした。
出生から現在までを振り返る緒方恵美の自伝『再生(仮)』の一つの軸となるのは、エヴァンゲリオンが放送されていた90年代半ば、第三次声優ブームの追憶である。『ボイスアニメージュ』『声優グランプリ』という現在も続く声優誌が当時相次いで発刊され、エヴァ人気はそれをさらに押し上げた。