通常、物語はまず主人公の背景や生い立ちを説明し感情移入させる、あるいは謎のヒーローとして圧倒的な能力を示し、観客を引きつける所から始まる。碇シンジはそのどちらでもないのだ。使徒という謎の存在と戦う組織に呼ばれ、ただ翻弄される14歳の少年。父親ゲンドウと対立はしているが、過去に父と何があったのかは明かされない。
敵の正体が見えないのはある意味で作劇の常道だ。だがエヴァにおいては、主人公の碇シンジの過去に何があり、父となぜ対立し、なぜエヴァに乗りたくないのかという説明が空白のまま物語が進む。脚本の常識として、これでは主人公が共感を得るのは難しいはずだ。
しかし誰もが知るように、碇シンジというキャラクターはたちまち多くの視聴者をひきつけた。ほとんど過去の説明がなく、天才的能力を見せるわけでもない14歳の謎の少年に、「碇シンジは私だ、これは私の物語だ」と吸い込まれていく観客の数は1話ごとに膨れ上がった。
視聴者の心を掴んだのは、言葉ではなく声だったのでは
実は初期テレビ放送で碇シンジの内面を鮮明に描写し視聴者の心を掴んだのは、彼の言葉ではなく声だったのではないだろうか。見逃し配信サービスなどない1995年当時、視聴者はたとえ途中の何話から見始めても、碇シンジを演じる緒方恵美の声を数秒聞くだけで、この少年が何者でどんな感情を抱えているか、その内面を直感的に感じることができた。
アスカがバイオリン、レイがビオラだとすればそれよりは低く、成人男性のコントラバスよりは高いチェロのような繊細な声。14歳の少年が児童から青年に変わる一瞬の変声期の独特なかすれ、弦楽器と弓の摩擦のようにきしむその声の響きは、幅広い年代の視聴者に息が詰まるような思春期の記憶を喚起させた。緒方恵美の演技は、碇シンジの内面を台詞で説明するのではなく、声の色彩で表現することができたのだ。
庵野秀明はおそらく、碇シンジの内面に視聴者がそれぞれに違う自分の過去、内面を重ねられるよう意図的に空白を作り、その空洞を埋め反響するような緒方恵美の声を求めたのだろう。そしてその演出は的中した。
アニメファンのみならず、多くのクリエイター、評論家、学者たちまでもが物語に引き込まれていった。当時、批評家たちは様々な思想や哲学を引用して『エヴァ』の魅力を力説した。だが本当にあの物語をエンターテイメントとして支えていたものは、声優たちの生きた声だったと思う。