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 それによれば、首が発見された5月15日、早くも志村署の次席(警部)が捜査本部に「伊藤巡査ではないか」と出頭。首実検をしたが、人相が変わっていたため確認できなかった。警部が出頭したのは、伊藤巡査が5月7日が「第一当番」(夜勤)で午後10時出勤の予定だったが、冨美子から「郷里の親戚が来た」という理由で5月9日まで休暇届が出された。

 5月10日朝、冨美子が署を訪れ、伊藤巡査の上司の巡査部長に「いままでうそを言っていたが、主人は5月7日の晩、酔って帰宅し、私と口論した後、外出したまま行方が分からない」と話した。その同じ日に伊藤巡査と符合する胴体が発見されたことから、志村署は内密に調査を進めていた。

室内で発見された血痕らしきもの

 捜査本部は、犯人は必ず被害者と密接な関係にある者と判断。伊藤巡査の身辺を捜査した。巡査と冨美子(旧姓・宇野)は未入籍で、「結婚」した1951年4月から、冨美子の実母・宇野鹿(52)と冨美子の実弟と4人暮らし。夫婦仲は悪く、けんかが絶えなかったことが分かった。

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応対に出た冨美子の目(「サン写真新聞」)

 捜査本部の巡査部長2人は、首が見つかった翌日の5月16日、冨美子に面会して事情を聴いたが、冨美子は夫の家出を心配している様子はなく、むしろ、夫の失踪を喜んでいるような様子だったという。その態度に不審を抱いた巡査部長2人が冨美子の了解を得て室内を調べたところ、押し入れ上段のカーテンに血痕らしいものが2つ付着していたうえ、押し入れの中にあったたらいの縁にも血痕のようなものが付いているのを認めた。

 疑惑を深めた2人が「バラバラ殺人の被害者が伊藤巡査と断定された」と伝えると、冨美子は「夫は金の入れ歯だから、絶対に夫ではない」と頑強に否定した。

 そこに、伊藤巡査の同僚である同署警ら隊員の巡査2人から重大な目撃証言が出てきた。

 5月10日午前0時半ごろ、志村橋付近をパトロール中、顔見知りの冨美子が自転車に大きな荷物を積んで中山道の方へ走って行くのを見かけた。数分後、蓮根町巡査派出所付近で再び冨美子が帰ってくるのを見たが、そのときは自転車に荷物はなく、ちょっと変だと思ったということだった。

 さらに、冨美子は5月8日から10日まで、勤務先の志村第三小から自転車を借り出した事実が判明。捜査本部は冨美子を犯人と断定した。(後編へ続く)

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