「五輪で日本人が金を取れば盛り上がる。何とかなる」…菅政権の「楽観論」に見る“日本人の習性”
楽天的な一部の為政者たちとは裏腹に、医療現場などは悲壮感に包まれている。文春オンラインに掲載された週刊文春編集部「『当たり前の医療ができない』『仲間を守れるのか』大阪・看護師たちの悲鳴」は、医療崩壊の現場のルポだ。看護師たちが労働環境の悪化や自宅療養の実態、緊急事態宣言解除の前倒しへの遺憾、きちんと患者を「看取り」をしてあげられなくなったことの苦悩などを訴える。
ここには「吉村(洋文)府知事はイソジンとか、ワクチン開発とか、たいそうなことをぶち上げる前に、もっと地道にできたことがあったんじゃないかなって思います」との声もある。為政者が当たり前のことをやらないために、医療現場を含め社会から当たり前が奪われていく。そうした事態の責任を感じているのが、現場の人たちなのはやるせない話である。
現代の「日本人あるある」に現れる、旧日本軍の習性
こうしたなか、宝島社の広告(5月11日出稿)が話題になる。戦時中の少女が「竹槍訓練」をする写真に「ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戦えというのか。このままじゃ、政治に殺される。」とのコピーが付くものだ。実際は木製のナギナタで、おまけに写真の出所が不明であることから批判も起きたが、世間の心情を捉えるものであった。
これに限らず、東京オリンピックやコロナ対策を戦争と重ね合わせる向きがある。分不相応に大きなことをやろうとする、撤退戦を知らず玉砕に向かう、精神論で乗り切ろうとするetc。
これらをレトリックと見る方もいるかもしれないが、そうとも言えない。軍隊は閉鎖的な性質であることから、その内部で観念が純化される性質にあり、そのため戦争には国の文化や国民性がより強調して現れるからだ(注2)。
そのため、戦争における日本軍の習性が、現代においても「日本人あるある」として現れる。戸部良一ほか『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』がロングセラーとなり、2010年代に一大ブームが起きたのもそのためだ。
この『失敗の本質』で指摘される、日本軍の多くの失敗要因のなかでも、とりわけ今日性があるのは「高度の平凡性」の欠如だろう。つまり戦争においては、上手くいくかどうかわからない奇策を無理にやる者よりも、当たり前のことを当たり前にやりとげる者が勝つ。コロナ対策やワクチン接種にあっても、うまくいっているところは、国でも、地方自治体でも、多くは「高度の平凡性」によってそれをなした。