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「なんで。痛い、このっ」介護ストレスで実母に手を上げた私が暴力を止めることができた“決定的な理由”とは

『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』より #2

2021/05/31
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 今日が日曜日で助かった─。すぐに私は返事した。

「今、少し話をしたい。スカイプスタンバイします」

妹に話すことで危機を脱する

 スカイプを通じて妹に、私が何をしてしまったかを話した。誰かに話さなくては自分が狂ってしまいそうでたまらないということもあったし、話すことで再発を防がねばならないという意志もあった。何をしても母の記憶には残らない。この状態で暴力が常習化し、エスカレートすることを私は恐れた。妹は事情をすぐに理解したようで「分かった。私からケアマネのTさんに連絡を入れる。もう限界だということだと思うから、ちゃんと対策しよう」と言ってくれた。

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 翌日、すぐにTさんは連絡してきた。

「妹さんからメールが届いて、事情は理解しました。まずは松浦さん自身が少しお休みをとる必要があると思います。とりあえずお母様にはショートステイに2週間行ってもらいましょう。休養して時間を稼いで、その上でこれからのことを考えるといいと思います。必要なことは全部私のほうで手配しますから」

 そして付け加えた。「正直、私から見ても、ここしばらくの松浦さんは、もう限界だなと思っていました。よくここまでがんばられたと思います」

©iStock.com

 よくがんばった─おそらくは暴力を振るってしまった家族に対して、どのような対応をすればいいかが、マニュアル化され、確立しているのだろう、と私は思った。が、たとえそうであっても、この言葉は心に沁みた。

 こうして急に、母をショートステイに送り出すことになったが、その前にいくつかやらねばならないことがあった。歯医者の定期検診に連れて行き、歯の掃除をしてもらった。妹に頼んで冬用下着を通販で送って貰い、試着させてサイズが合うかどうかを確認した。

 ショートステイに行く前日、内科医院に連れて行ってインフルエンザの予防接種をした。抗体が定着するまで数週間かかるから、冬の本格的流行に先立って、早めにやっておかねばならない。予防接種の同意書には、本人のサインが必要だった。「ここに自分の名前を書くんだよ」と言うと、母は「自分の名前が書けない」と当惑したような顔で言った。「ひらがなでもいいんだよ」というと、しばらく考えてから、やっと漢字で自分の名前を書いた。かつてのはつらつとした筆跡からは想像もつかない、弱々しいサインだった。

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