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ミホノブルボンとライスシャワー、その後
菊花賞ではじめての敗戦を喫したミホノブルボンは、その後、故障がつづき、一度も走ることなく現役を引退する。
ミホノブルボンを無敗の二冠馬に育てあげた戸山為夫は、ダービーから1年後の93年5月29日、61歳で亡くなった。ミホノブルボンが厩舎にきたころに食道癌の手術をしたが、肝臓にも転移し、治療をつづけていた。
ライスシャワーは翌年の天皇賞・春ではメジロマックイーンの3連覇を阻止して関西のファンから「関東の刺客」などと呼ばれ、春の天皇賞に2勝するなど名ステイヤーとして活躍した。しかし、京都競馬場でおこなわれた95年の宝塚記念で故障、安楽死となる。
一転して悲劇の名馬となってしまった小さな黒鹿毛。
その功績を称える碑は、いまも京都競馬場内に佇んでいる。(文中敬称略)