松永に無断でマンションを出た緒方
〈緒方は、松永と共に犯罪を犯して警察による指名手配を受けており、また、由紀夫を死亡させてその死体を解体したり、乙女(裕子さん)に対する犯罪を重ねたりしたことから、松永と一緒に逃走生活を続けるしかないと考えていたが、松永から執拗に金策を迫られて嫌気がさし、上記のように和美に無心したものの断られ、他に金策の当てがなかったことから、松永のもとを離れ、自分で働いて金を稼ぎ、松永に送金しようなどと考えた〉
何事にも疑心暗鬼な松永に対し、緒方が一時ではあれ彼の元を離れると口にすれば、激昂するのは火を見るよりも明らかだ。そこで緒方は黙って松永の元から離れることにしたのである。とはいえ、緒方の手元には4歳の長男と1歳の次男がいた。年齢的に長男はまだなんとかなるが、次男についてはどうしても人手が必要だった。判決文は続ける。
〈緒方は、平成9年4月7日、松永に無断で、長男を「片野マンション」に残し、次男のみを連れ、和美が運転する軽トラックに同乗して「片野マンション」を出た。緒方は和美に次男を預かってくれと頼んだ。和美はそのことを電話で孝に打診したところ、孝は「緒方に家の敷居は跨がせない。」と断った。和美は、緒方に長崎に帰るように忠告し(緒方は、当時、和美には長崎に住んでいるかのように嘘を付いていた。)、1万円を与えた〉
この説明から、指名手配中の身であった松永が緒方家を信用しておらず、当時は北九州市が潜伏先であることを伏せ、長崎県にいるように見せかけていたことが窺える。ただし、その具体的な内容について、これ以外には説明されていない。
思いつきが呼び寄せた「湯布院事件」
〈緒方は、和美に車で福岡県久留米市所在の「九州旅客鉄道株式会社久留米駅」まで送ってもらい、そこで和美と別れた。緒方はやむなく次男を福岡県久留米市××町所在の和美の実姉・山田サトミ(仮名)宅に預けようと考えた。緒方は、同日午後9時か10時ころ、サトミ宅に赴き、同人に対し、「ちょっと子供を預かって。お母さん(和美)がすぐに迎えに来るから。」などと言い残して次男を預け、観光地に行けば仕事があるだろうと考え、電車で大分県大分郡湯布院町に赴いた(以下、「湯布院事件」という。)〉(同判決文)
次男を預けた時間から考えて、緒方が湯布院町(JRの駅名は「由布院」)に着いたのは、翌日のことであると考えられる。その地で緒方は仕事を探そうと、由布院駅の周辺を歩き回ることになるのだ。
判決文の末尾にも「湯布院事件」とあるように、緒方がこのとき思いつきで取った行動は、のちに松永と緒方家にとっての大きな事件となってしまう。
それはまさしく、緒方家一家6人が殺害されてしまうという事態を呼び寄せることに繋がる、悲劇の入口といえるものだ。だが、この時点での緒方は、そのことにまったく意識が向いてはいなかった。
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この凶悪事件をめぐる連載(一部公開終了した記事を含む)は、発覚の2日後から20年にわたって取材を続けてきたノンフィクションライターの小野一光氏による『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)に収められています。