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「村長へ非難の投書 “即時辞職”をせまる」

「村八分」についての公式の対応はこれで終わったが、問題はすぐに幕とはならなかった。既に静岡新聞の7月3日の同じ紙面には「佐野村長へ非難の投書 “即時辞職”をせまる」という別項の記事が見える。東京、群馬、神奈川などから計22~23通の無記名の投書が寄せられ、いずれも村長を非難し、即刻辞職を迫る内容だった。

 日本弁護士連合会の人権擁護委員会や衆院行政監察特別委員会、教育関係団体、週刊誌、雑誌などが続々現地を訪問して調査・取材をするなど、世間を揺るがす騒ぎに発展していた。

 7月3日付朝日夕刊は、静岡県教職員組合富士宮高校分会が2日午後、分会大会を開き、「石川皐月の行為を称揚するとともに、強く支持し、あらゆる圧迫の排除に努める」と決議したことを報道。同高生徒約1000人も2日午後、生徒大会を開いて討論し、大勢は皐月さんの行為の正当性を認め、支援していく」態度だったとも伝えた。

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「日本一の非文化村」

 対して7月8日付の静岡新聞は社会面トップで「“日本一の非文化村”の汚名返上へ」の記事を掲載。「同(上野)村の愛村同志会は6日午後から、『捏造(ねつぞう)記事で日本一の非文化村にした新聞と闘え』と書いたポスターを張り始め、9日に開く小、中学PTA大会で、村民大会を開いて村民運動を起こすことを呼び掛けようとし、婦人会と青年団は協力してこの問題を真剣に検討し、対策を練ることになったが……」と報じた。記事には張られたポスターの写真も。同じ日付の静岡民報も「青年団 汚名返上運動へ」の見出しで同様の記事を掲載した。

 7月16日付朝日夕刊では、現地調査した評論家・神崎清が「村内には反省の色が見られず、むしろ事件発覚の端緒は石川皐月さんが投書したからだというので、石川さん一家の私行や皐月さんの思想関係を暴こうとしている。ことに、先頭に立つ一部有力者らの愛村同志会は“汚名返上”という美名に隠れて、実は事件のもみ消し運動をやっていた」と批判した。「富士宮市史 下巻」は神崎がとらえた問題の本質を3つにまとめている。

1、隣組の組織が選挙に利用されている事実は見逃し得ない

2、無理な棄権防止運動から生まれた弊害とみなされる点がある

3、選挙はあくまで個人の自由意思に任せ、いたずらに投票率を高めるのは理想でないこと。また棄権防止のため、子どもを使ったり、親たちを投票場に駆り出すことはいけない

「隣組」とは戦前戦中、10戸内外を単位に国策遂行に協力させるための末端組織として防空・防火、配給・供出などの機能を担った共助組織。一方で相互監視の役割も果たした。

 1947年、日本の占領に当たった連合国軍総司令部の命令で廃止されたが、「静岡県史通史編6近現代二」によれば、静岡新聞には「静岡市ではかえって市の音頭とりでカンバンだけ替えて町総代、町内会」となり、「市税の取り次ぎや選挙入場券の配布」をやり「実態は旧態そのものだ」という告発の投書があったという。「看板だけ替えた、いわゆる(隣組の)類似団体がその後も大勢だったのである」と同書は述べている。

 左派社会党系の新聞「社会タイムス」1952年7月17日付は「村八分の陰にうごめくボス 舊(旧)地主の意のままに」という見出しの記事を掲載。大地主が村長、選管委員長など村の要職を占めるほか、土木建設業を営む県議が“大ボス”として存在し、「村政は終戦以来、ほとんどこの種旧地主や有力者たちによって支配されてきているのだ」と指摘した。その7月17日には衆院行政監察特別委の委員が現地に入り、調査を開始している。

「村八分」は父親の非行のため?

 一方、県議会で県教育長は「生徒である以上、当然教師に話すべきで、皐月さんのとった方法は行き過ぎと考える」との見解を表明。富士宮高校校長も「高校は投書や密告など、卑屈な精神を養う所ではない」と発言して、教職員組合との対立が表面化した。

 7月18日、上野村村議会は「石川さん一家を村八分したとか生活を脅かした事実はない」「基本的人権の尊重こそ民主国家の支柱であり、人権擁護の強調されるゆえんである」との声明を決議した。

「週刊サンケイ」7月23日号は「生きていた“村八分” 替玉選挙に挑んだ乙女」というタイトルだが、「(取材の)結果は意外な複雑さで」という前置き。「不義理した石川さんの父」「賭博で失った八分?」「親戚も仲間はじき」などの見出しで、住民の話から皐月さんの父親の“非行”を羅列した。

事件はさまざまな形でメディアに報じられた(「週刊サンケイ」より)

 賭博にはまって土地を手放し、家に不在のことが多く、寄り合いなどにも出ないこと、事業に手を出して失敗し、住民らから借金を重ねていたこと……。仕事も怠けがちで、農作業の手伝いで生計を立てていたことも。以前から「引っ越ししたい」と言っていたとの証言も加え、「村八分」の事実はなく、そう言い立てるのは石川家の側に原因があるというトーンで終始した。