――原因は?
立花 失恋です。思い詰めて自殺したくなったんです。しかし、自殺というのは、本気でやりたいと思うと、具体的行動が必要です。具体的に何をどうするのか。第一歩をああでもないこうでもないと考えあぐねているうちに、自分はその一歩が踏み出せない人間なのだということがわかって、自己嫌悪におちいりました。
実は自殺は、哲学における中心的な問題の1つです。実存主義の作家として有名なカミュは『シーシュポスの神話』という哲学的エッセイの冒頭で、こう書いています。「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである」(『シーシュポスの神話』清水徹訳 新潮文庫)。うん、そうだと思いました。大学時代のはじめ、しばらく実存主義に熱中したのは、これがきっかけでした。
必ずしも自殺がいけないことだとは考えていません
人が死ぬとはどういうことなのか。この問題をはじめて真っ正面から哲学的に論じようとしたのが実存主義です。マルクス主義とともに、実存主義は、1950~60年代の大学生が最初に受ける知的洗礼として重要でした。日本の大学生に大きな影響を与えたのはフランスの実存主義で、カミュの『異邦人』、サルトルの『実存主義とは何か』『存在と無』、ボーヴォワールの『人はすべて死す』などは、当時の大学生の必読文献でした。
人はみないつか自分の死に一人で向き合わなければならない。「自分の死は自分で死ななければならない」。実存主義が繰り返し問うたのが、自殺の是非を含む、自分の死との向き合い方でした。この問いは今の若い人にとっても切実なものではないでしょうか。
――若者(15~34歳)の死因トップが自殺なのは先進国で唯一、日本だけです。
立花 誤解を招いてしまうかもしれませんが、僕は必ずしも自殺がいけないことだとは考えていません。何十年も前ですが、もの書きになってはじめの頃(著作2冊)、子供の自殺が大きな社会的問題になりました。その頃、僕は、ある県の教育委員会に呼ばれて、学校の先生や親たちの前で、講演をしたことがあるんです。常識的にそういう場では、子供が自殺しないためにどうすべきなのかという「ベキ論」を語るものだと思います。講演を依頼した人もおそらくベキ論を期待していたはずですが、僕は最初に「子供が自殺をするのはいけないことじゃない」と言いました。
子供時代から青年時代を通じて、自殺したいと一度も思ったことがない人はいないんじゃないでしょうか。少なくとも心の中で自殺を考えたことがない人がいたら、その人の成長過程に何か欠落があったといえるのではないか。普通の人間が普通に育っていけば、どこかの段階で死にたいと考える。それはむしろ人間の健全な精神的成長の一階梯なのではないか。そんな話をしました。