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自殺の是非は若いときに一度は真剣に考察すべき

 僕は今でも、子供が自殺したいと真剣に考えて実行に移すことはありえることだし、それが絶対ダメだとはいい切れないと思っています。カミュじゃないけど、自殺の是非は人間が若いときに一度は最も真剣に考察すべき命題の1つです。

 こういう言説が子供や若者に勧められることはほとんどありませんが、ないわけではありません。たとえば寺山修司の評論集『死者の書』(土曜美術社、1974年)に、「青少年のための自殺学入門」という章があって、これが面白いんです。少年時代の寺山は「自殺機械をつくることに熱中していた」らしく、彼の考案した自殺機械をいくつか紹介しています。たとえば、「2羽のニワトリ式自殺機」は、「心臓に照準をあわせて、弾をこめた猟銃を設置し、その引き金を2羽のニワトリの足にヒモで結んでおく。2羽のニワトリは私の頭上の砂袋に止まっているのだが、袋に穴があいているので砂がこぼれて、だんだん足許が不安定になってくると、本能的に下へとびおりる。そのときに足に結んだヒモが引っ張られて引き金がひかれ、私は射殺されるというものである」。他にも、「上海リル式浴槽自殺機」、「ねじ式自殺樽」「脱穀機型脳天振動自殺機」などを発明しています。唐十郎はこの書を寺山の最高傑作と言っています。唐も若いときに自殺を真剣に考えた若者の1人だったからだと思います。

©文藝春秋

「死にたいのなら死んでみればいい。だけど、やり直せないよ」

――1990年代にベストセラーになった『完全自殺マニュアル』(鶴見済著 太田出版、1993年)の先駆けですね。

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立花 それよりずっとずっと前に出た本です。寺山は「なぜ、学校の工作の時間に自殺機をつくらせないのだろう」「死ぬ自由くらいは自分自身で創造したい」と書いています。

 僕もそう思いますね。人はいずれ死ぬのだから、死期を自分で早めてもいいじゃないかと主張する人に対して、ダメだという必要はない。「死にたいのなら死んでみればいい。だけど、やり直せないよ」といえば充分だと思っています。寺山修司のこの本を渡して、こういう死に方もあるぞ、と教えて、失敗がないようによくよく考えろといえばいい。それで、実際に自殺機械を工作の時間に作ってみろと呼びかける。そんな指導があっても悪くないと思っています。

 余談ながら、寺山修司とは文春にいた頃、わりと親しくしたんです。寺山が演劇集団「天井桟敷」をつくる直前で、なにしろ僕の最初の本の帯を書いてくれたのは寺山なんです。文春を辞めたとき、彼が「俺のとこへ来い」と誘ってくれました。そのときそれを受けていれば、まったく違う人生を送っていたと思います。

――役者になっていた?

立花 いや、それはないだろうけど(笑)。