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「葬式にも墓にもまったく関心がありません」80歳で逝去・立花隆さんが語っていた「理想の死に方」

《追悼》立花隆さんインタビュー#3

2021/06/23
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1人で誰にも看取られず静かに死にたい

 父親に話を聞けなかった反省もあって、母・龍子には、生前、家族史の聞き取りの機会を設けました。母は2011年(平成23年)に95歳で亡くなっています。

 2人とも、日本人の平均寿命より長く生きました。人の寿命の長短と相関関係がいちばん強いのは、その人の親の寿命らしいので、僕も長生きするのかもしれません。でも、僕自身は、両親ほど長生きしたくないですね。ヨボヨボのボケ老人になって生きててもいいことがあるとは思えないですから、ボケる前に死にたいです。死ぬとき、あ、オレはいま死につつあるんだと意識したいです。若いときインドで見た夢のつづきを見る思いで。

――立花さんにとって、理想の死に方とは?

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立花 ジャングルの象のように死にたいですね。象は死期が迫ると群れを離れて、ジャングルの奥深くにある象の墓場へ向かうそうです。そして、象の骨と象牙が山のように積まれた墓場にたどりつくと、自らその上に横たわってひっそりと死ぬ。本当かどうかは知りませんが、小学校高学年のときに本でこの話を知って以来、自分も1人で誰にも看取られず静かに死にたいと思ってきました。

©文藝春秋

「オレは明日死ぬぞ」と告げて

 私の伯父はこれに近い死に方をしています。伯父は昭和初期に小さな出版社を興して、若き日の大宅壮一の本を出してやったこともありました。その縁で大宅壮一の娘(大宅映子さんの異母姉)を橘家で預かったこともありました。僕の親父は一時期、大宅さんの娘さんと兄妹として暮らしていたわけです。

 戦争が終わってしばらく改造社の重役を務めた伯父は、その後、米国務省監修の外国人向け英会話学習テープを日本で独占販売して一儲けします。一式数十万円もする教材でしたが、実務的な米語を学べると評判を集め、JALや自衛隊など、大企業や官庁を相手に沢山売りさばいたようです。伯父の会社は僕が勤めていた文藝春秋の近くにあったので立ち寄る機会も多く、そのたびに飯を食わせてもらっていました。文春を退社した後は、翻訳のアルバイトをもらったり、金銭的に困ったときには借金したこともあります。

 この伯父が80歳のとき、「オレは明日死ぬぞ」と家族に告げて、本当にその翌朝亡くなったのです。なかなか起きてこない伯父を起こしに行ったところ、伯父は床の中で静かに死んでいたそうです。それまで死の近接を感じさせる予兆はなく、普段通りの生活をしていましたが、本人にはわかる何かがあったのでしょう。僕も死期が近いことを悟ったらジタバタせず静かに逝きたいですね。