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「葬式にも墓にもまったく関心がありません」80歳で逝去・立花隆さんが語っていた「理想の死に方」

《追悼》立花隆さんインタビュー#3

2021/06/23
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ベッドは温かすぎたり、寒すぎたりしないようにしたい

――現実には老衰死よりも、どこか体を悪くして、病院で息を引き取るパターンのほうが多いと思います。病院で死を迎える場合に、何か希望はありますか?

立花 延命治療は嫌ですね。胃瘻(いろう)も人工呼吸器も願い下げです。希望としては、いよいよ死ぬとなったとき、ベッドは温かすぎたり、寒すぎたりしないようにすることですね。

――なぜ?

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立花 2002年(平成14年)に亡くなった医師で、名古屋内科医会会長も務めた毛利孝一さんの例を知っているからです。毛利さんは生涯に3回も臨死体験をしました。1回目は心筋梗塞で42歳のとき、2回目と3回目は脳卒中で、それぞれ68歳、78歳のときです。1回目と2回目の臨死体験はハッピーなもので、こんなに楽に死ねるのかと思ったらしい。ところが3回目は、とにかく暗くて寂しい体験だった。彼によると、はじめの2回は温かい蒲団の中で生理的に快適な状態だったのに対して、3回目は救急病院で薄い病院着1枚だけで寝かされていたということです。

――寒い状況に置かれると、臨死体験の内容がハッピーでないものになってしまうわけですね。

立花 逆もありえます。死の床を温かくしすぎると、灼熱地獄の臨死体験をするかもしれません。臨死体験は脳が最後に見せる夢に近い現象ですから、いい臨死体験ができるように、死に際の床をなるべく居心地よくしておくのが肝要です。臨死体験の研究が進めば、どういう環境に置かれたとき、人はハッピーな臨死体験・臨終体験ができるのかといった知見がもっと集まるでしょう。

©文藝春秋

葬式にも墓にもまったく関心がありません

――死んだ後についてはどうですか。人によっては葬式の挙げ方、墓の建て方など細かくいい残します。

立花 葬式にも墓にもまったく関心がありません。どちらもないならないで一向にかまわない。

――日本人一般の感情とは異なる考えですね。

立花 キリスト教徒の両親の家で育ったせいでしょうね。「人間の肉体はチリから生まれてチリに帰る」という考え方にずっと親しんできました。肉体に特別な意味があるとは思えないのです。

 特に嫌なのは、火葬場での骨あげです。焼き上がった遺体の骨を遺族らが2人ひと組で順番に箸で骨を拾いあげ、骨壺に納めていく風習ですが、こんな儀式は要らないと思います。僕はあるとき火葬場でたずねました。もし遺族が故人の遺骨を拾わずにそのまま帰ったらどうなるのかって。東京都清掃局(現環境局)の清掃車がきて引き取るとのことでした。つまり、残った遺骨はゴミとして処理されるわけです。僕も死んだら、葬式なし、骨あげなしで、遺骨は東京都に引き取ってもらえばいいと思っています。昔、伊藤栄樹(しげき)という、現役検事時代にダグラス・グラマン事件など有名な事件の数々を手がけた有名な検事総長が『人は死ねばゴミになる』という本を書きましたが、あの通りだと思いました。