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「本当に可哀想なことをしてしまって…」西武王国・堤清二が語った“子供を残しパリへ逃避した”妹への懺悔

『堤清二 罪と業 最後の「告白」』より#4

2021/07/02

source : 文春文庫

genre : エンタメ, 読書, 企業

「邦子には、本当に可哀想なことをしてしまって……」「邦子には懺悔したい」。妹・邦子への思いを語るのは、西武グループの創業者・堤康次郎と、愛人の青山操の間に生まれた堤清二だ。

「女に学問はいらない」という康次郎の一言で、望んでいた大学進学の途を絶たれてしまい、邦子の生活は反抗的な色彩を帯びていた。二度の結婚と離婚、そしてフランス留学をした邦子だが、1997年6月、パリでこの世を去った。そんな邦子への複雑な思いを清二が語った。ノンフィクション作家・児玉博氏の『堤清二 罪と業 最後の「告白」』(文春文庫)から一部抜粋して紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

◆◆◆

清二の母・操

「当時の子供の目から見ると、父は堂々としたもんだった。背は低かったが体格は良かったから。すでに政治家でもあったから、たまに来るくせに偉そうに振る舞うわけです。本人としては普通なのかもしれないけれど、こっちは親の敵くらいに思っていたからいちいちが気に入らない。で、父が泊まるとなると、普段は茶の間、といっても2部屋しかない家だったから、その茶の間に僕と邦子とが寝かされ、母と父は別の部屋に寝る訳ですよ。子供がいるのに変な行為をするしね」

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「変な行為ですか」

「母も女性だったということでしょうな」

 清二の表情に、特別な感情は読み取れなかった。

「児玉さん、小腹がすきませんか。サンドイッチでもどうですか。食べましょう」

 唐突に清二は言うと、返事も待たずに秘書を呼ぶ。秘書が入ってくるや、「あのね、小腹がすいてね、たくさん喋ったから。だからサンドイッチを下さい。あのパン屋さんのやつがいいかな。児玉さんにも食べてほしいから」

 清二は矢継ぎ早に用件を伝えるとこちらに向き直った。数秒間、こちらを凝視した後、小さく息を吐くと、柔らかな口調で再び話しはじめた。

「母は歌人でもありました。息子が言うのは妙なんですが、いい歌を詠む歌人でもありました。ご存知でしたか?」

 20歳の若さで康次郎に略奪されるように同居生活を始めた2年後、操は歌人吉井勇に師事し、短歌の道に入った。しかし、康次郎は操が歌を詠むことを良しとせず、操は以後匿名で歌を投稿し続けた。

 1953年(昭和28)、操は日本歌人叢書の1冊となる『静夜』を出版するが、康次郎の与あずかり知らぬところだった。清二の処女詩集『不確かな朝』が出版される2年前だった。母の歌集を刊行するに際して、清二は康次郎の秘書として支給されていた給与のすべてを操に手渡した。

 清二は母を思い出すかのように操の短歌を諳そらんじてみせた。清二が何度となく口ずさんだ歌だという。

「いとせめて 涙少く あらしめと 十二の吾子の 行末おもふ」

 12歳の少年、堤清二を思って詠み上げた一句だった。荒涼とした場所で逆巻く風に身を任せる我が子、そんな光景がまざまざと浮かび上がる。この母の歌を口ずさむ清二の脳裏にはどんな光景が浮かんでいたのか。こんな歌もあった。