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太っていないのに「やせるべき」と考えてしまうのはなぜ? ダイエットの“呪縛”から逃れる大切な“考え方”とは

『ダイエットをしたら太ります。 最新医学データが示す不都合な真実』より #2

2021/07/30
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 患者さんたちは多くの場合、なんらかの生きづらさがあって、それを解消する手段としてダイエットを始めます。人間関係が不器用だったり、あまりにも心配性だったり、人を信じられなかったり、心に傷を負っていたり。自己肯定感が持てないのです。ところが、ダイエットをして体重が減ったり、周囲の人から「やせたね」と言われたりすると、自分が何かを成し遂げたような、みんなに認められたような気がして、とても嬉しく、どんどんダイエットにのめり込んでいきます。手段であったはずのダイエットが、目的になってしまうのです。

 とはいえ、ダイエットは必ずリバウンドします。しかし、もはやダイエットが生きる目的ですから、ダイエットをやめるわけにはいきません。ダイエットする前の“かっこ悪い”自分に戻るわけにはいかないのです。そこで、より高い目標を設定して、再びダイエットに励みます。そして、ダイエットとリバウンドを繰り返すうちに、摂食障害に陥ってしまうのです。

 私はこのような臨床的完全主義を“負けず嫌い”と呼んでいますが、この負けず嫌いは、摂食障害の患者さんに限ったことではありません。

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大企業のトップや政府幹部も…臨床的完全主義に陥る人たち

 たとえば中国では、大企業のトップや共産党・政府機関の幹部の自殺が、年間40件以上起きています。記憶に新しいところでは、2020年8月に、中国の鉄道建設プロジェクトを一手に担う中国鉄道建設グループのトップ、陳奮健会長が、汚職で取り調べを受け、飛び降り自殺をしています。この企業は、米国の経済誌『フォーチュン』の「世界の企業トップ500」で54位にランキングされたほか、「世界最大の建設プロジェクト請負業者250社」でも3位になるなど、世界トップクラス。しかも陳氏は党委員会書記、全国人民代表大会委員なども兼務する、名士中の名士だったそうです。

 一見、摂食障害とは何の関係もなさそうですが、「負の側面があるにもかかわらず、より高い目標を自らに課し、それが自己の評価に深く関連している」という意味で、陳氏もまた臨床的完全主義に陥っていたと言えるのではないでしょうか。

 元を正せば、働くことや上を目指すことは、自分や家族の幸せのため、あるいは国民や国家のためだったはずです。ところが、いつの間にか本末が転倒して、上を目指すことが目的になってしまいます。熾烈な権力闘争や汚職という深い陥穽が待ち構えていることを知りながら上を目指し、ある程度の地位と権力と財産を得てからも、もっと上へ、もっと上へと限りなく高い目標を自らに課して、日夜励んだのです。

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 その結果、汚職が露見して、当局の取り調べを受けた。近い将来、地位も権力も財産も、名誉も、すべて失うことが目に見えています。そうなれば、元の木阿弥。なんの権限もないちっぽけな、かっこ悪い自分に戻らざるをえません。それは我慢できない。誰からも認められない、惨めな自分は受け入れられない。その挙句が、自殺という悲しい結末だったのです。私には陳氏が、やせ細って死んでいった摂食障害の患者さんたちの姿に重なって見えます。そして、陳氏のような人は、日本にも大勢いると思います。