文春オンライン

「1人で死ね!」玉音放送を聴いたにもかかわらず特攻機に乗り込んだ司令長官…見送る兵士たちの“悲痛すぎる叫び”

『日本海軍戦史 海戦からみた日露、日清、太平洋戦争』より #2

2021/08/10

「最後の戦果」をいかに評価するか

 日本海軍にとって、最後の組織的な艦隊戦闘は昭和20(1945)年4月の第二艦隊水上特攻であり、その後は艦艇同士の戦闘はなかったが、終戦間際に橋本以行艦長の指揮する伊号第58潜水艦が、米海軍の巡洋艦「インディアナポリス」を撃沈したのが最後の戦果となった。

 7月18日、伊58潜水艦は豊後水道を南下、回天作戦のため一路フィリピン沖を目指していた。同艦は昭和19(1944)年12月の金剛隊以来3度目の出撃で、回天戦のベテラン潜水艦であった。

 7月28日、伊58潜は米駆逐艦を発見、回天2基を発進させたが、戦果は確認できなかった。伊58潜はさらに南下を続け、翌29日深夜、浮上直後に航海長が「艦影らしきもの左90度」と叫んだ。ただちに潜行した伊58潜は、魚雷戦、回天戦の準備をし、沈黙のうちに敵影を待ち受けた。

ADVERTISEMENT

 艦影は巡洋艦「インディアナポリス」であった。7月26日に米本土から運んできた原爆をテニアン島に降ろしたばかりであり、この原爆が10日後に広島に、さらに3日後に長崎に投下された原爆だった。任務を終えた「インディアナポリス」は、ただちにテニアンを出港、グアムに向かった。ところが、この航海予定の電報は、いくつかの錯誤によってどこにも届かなかった。

©iStock.com

巡洋艦「インディアナポリス」のあっけない撃沈

 翌日、グアムに着いた同艦は、28日にグアムを出港、フィリピンのレイテに向かった。出港前の情報では、付近に日本の潜水艦が行動している恐れがあったので、日中はジグザグ航行を行っていたが、日没後は直進で進んでいた。

 7月29日の深夜、「インディアナポリス」はグアムとレイテの間に達していた。そして、日付は30日に変わっていた。零時少し前、潜望鏡に映る艦影を確認した伊58潜の橋本艦長は、6本の魚雷を発射した。時計は零時を回る。「インディアナポリス」の右舷前方に3本の巨大な水柱が立ち上った。同艦は十数分であっけなく姿を消し、SOSの発信さえも間に合わなかった。

 乗員約1200名のうち約300名が沈没時に戦死し、残る約900名は8月2日まで哨戒機に発見されず、海上にボートも何もなく漂流していた。その後8月7日の救助完了までの間に多くが遭難し、結局300名程度が救助されたにすぎなかった。

関連記事