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責任者に直接処分が下されない日本の体質

 戦いの中で得られた教訓、戦訓には兵士の血の代償が支払われている。そして、その教訓の活用は、次の戦いにおける血の代償の量を左右する。もし真剣に戦訓を得ようとすれば、それは冷厳な責任の追及となるのはやむをえない。法廷で戦友のミスを追及することはアメリカ人にとっても、もちろん愉快なことではない。しかし今後、同じ過誤が繰り返されないために必要不可欠なこととされたのだ。

 ひるがえって、日本海軍のケースはどうであったろうか?

 昭和17(1942)年6月のミッドウェー海戦に敗れた第一航空艦隊の参謀長草鹿龍之介は、山本五十六司令長官に対し「大失策を演じおめおめ生きて帰れる身に非ざるも、只復讐の一念に駆られて生還せる次第なれば、如何か復讐出来る様取計って戴き度」(宇垣纏『戦藻録』より)と、ほとんど個人の感情レベルの懇願を行っている。そして山本長官も敗北の責任などまったく念頭になく「承知した」と答えている。さらに海戦の敗因については後に、形ばかりの戦訓委員会が設置されたが、その結果は極秘とされていっさい公開されなかった。利用されることのない戦訓などに、いったい何の意義があるのだろうか。

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 日本海軍の指揮官や高級幕僚が戦闘の重要な局面で重大な錯誤や失敗をおかし、以後の戦局をきわめて不利なものとしたケースはミッドウェー作戦にとどまらず、海軍甲事件・海軍乙事件・台湾沖航空戦・レイテ沖海戦での栗田艦隊の反転など、枚挙にいとまがない。にもかかわらず、それらのケースの責任者で直接処分された者がいないということは、いったい何を意味するのだろうか。

 太平洋戦争における日本軍の反省を記した書籍や雑誌を見ると、個々の戦闘の戦術的巧拙についての評価、あるいは戦略的な総論に偏したもの、または日本人の国民性、というような茫漠としたものなどが多く、将兵の義務、責任、そして権利といったものについての考察は、ほとんどない。

 しかし、軍隊の本体が人間の集団である以上、将兵の一人の人間としての権利と義務に基づく立場の確立こそ、精強な軍隊の第一歩であると考えるべきであり、日本軍についてもこの観点からの研究がさらに必要と思われる。

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