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責任はどこにあるか? 日米海軍の体質の違い

 日本国内では、この撃沈は日本海軍潜水艦のあげた最後の金星としてのみ有名である。しかし、米国では、「インディアナポリス」の遭難は海軍最大の悲劇として戦後に大きな問題となった。1隻の巡洋艦が、ほとんど敵が存在しないと思われていた海面で撃沈され、数々の不運が重なって多くの生命が失われた。この事件の責任はいったいだれにあるのか?

 この「インディアナポリス」の事件は、終戦直後のアメリカ海軍と国民の間に重大な関心を呼び起こし、そのニュースは争って読まれた。多くのアメリカ人がこの事件について海軍内部に責任者が存在し、処罰されなければならないと考え、生き残った艦長は軍法会議にかけられ有罪とされた。大戦中にアメリカ海軍が喪失した軍艦の艦長が軍法会議にかけられたケースは他にない。

 この異例の裁判が引き起こされた最大の理由は、「将兵が死ななくてもよい場所で無駄に命を落としたのではないか?」ということにあった。この問題意識こそ、日米海軍、いや、日米両国の国家と軍隊と兵士の関係における最大の相違点だったのである。

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 アメリカの国民は、義務として兵役につき、戦争に参加している。同時にすべての兵士は国家に対して、生命の安全に関して最善の努力を払うことを要求する権利を持っている。もし1人の兵士が戦死すれば、その遺族はその兵士の死が“意義ある死”であったかどうか(すなわち、無意味な作戦や無能な指揮による死ではなかったか、また十分な生活と最善の兵器が与えられていたか)を知る権利を持っていた。それがアメリカという国家と国民の契約だったのである。

「インディアナポリス」の場合を例にとると、死亡した乗員の遺族が太平洋艦隊司令長官のニミッツ提督に対し、責任者の早急な追及を行うように要求する手紙を送っている。これに対しニミッツは、ていねいな返事を書いている。さらに事件調査についても「われわれは、自分たちの間違いを隠そうとは考えていない」と言明している。

 これは何ら特別な例ではなく、このような手紙は戦時中に軍の指揮者や、大統領がたびたび受け取ったものだった。

 また、海軍の内部でも同じように契約があった。「義務を果たした者には名誉を、果たさなかった者には罰を」である。すべての失敗について責任者がきびしく失態や怠慢を追及され、それぞれ処分を受けたものである。