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“儀礼的最高位としての天皇なんかはいらない” 歴史探偵・半藤一利が史料から読み解く「織田信長の極限思想」

『手紙のなかの日本人』より #1

2021/07/29

source : 文春文庫

genre : ライフ, 読書, 社会, ライフスタイル, 歴史

note

 無心状であれ恋文であれ、遺書であれ、「手紙」には率直な感情が綴られるものだ。

 歴史探偵・半藤一利氏は、歴史を彩る文人武人22人による美しい日本の手紙を読み解きながら、『手紙のなかの日本人』(文春文庫)を執筆した。ここでは同書の一部を抜粋し、織田信長が抱えていた思いを彼の手紙から推察する。(全2回の1回目/後編を読む)

半藤一利氏 ©文藝春秋

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簡潔無比の織田信長

 織田信長の書簡となると、つとに知れ渡っているのは、秀吉の正室のおね(のちの北政所[きたのまんどころ])にあてたユーモラスともいえるそれである。安土城にいた信長のもとに、沢山の土産(みやげ)をもって、秀吉の名代としておねがご機嫌伺いに参上した。信長はたいそう喜び、いろいろともてなした。無事ご機嫌伺いをすませて帰ったおねのあとを、追いかけるようにして届けられた手紙である。現代人にはいささか判じ難い文面になっている。

 おほせのことく、こんとはこのちへ、はしめてこし、けさんにいり、しうちやくに候。

 という具合なのである。これを読みやすく漢字入りにすると、

「仰せの如く、今度はこの地へ、はじめて越し、見参にいり、祝着に候。」

 となる。さらに訳せば、そなたの言うように、こんどこの安土へはじめて来られ、会うことができて嬉しく思った、という喜びの表明である。このあと、お土産品のお礼があり、お返しの品をと思ったが、適当なものもない、次の機会に何か考える、とあって、いよいよこの手紙の眼目のところとなる。

 就中、それのみめふり、かたちまて、いつそや見まゐらせ候折ふしよりは、十の物廿ほとも見あけ候。藤吉郎れん/\ふそくの旨申のよし、こんこたうたん、くせ事に候か。何方を相たつね候とも、それさまほとのは、又二たひかのはけねすみ、あひもとめかたきあいた、これよりいこは、みもちをようくわいになし、いかにも、かみさまなりに、おも/\しく、りんきなとに、たち入候ては、しかるへからす候。

 これを現代語訳してしまうと、かなり妙味がうすれるが、あえて訳す。

《それよりも何よりも、そなたの眉目うるわしさ、容姿まで、いつぞやお会いしたときよりも、十のものが二十ほどもきれいに見上げました。なのに、藤吉郎は何かと不足を申す由、言語道断で、とんでもない心得違いである。どこを尋ねたところで、そなた様ほどの方は、二度とふたたびあのはげ鼠が、相求めることはできないのであるから、これから後は、気持を明るくもって、いかにも正室らしく、重々しく振る舞われ、悋気などをごちゃごちゃ焼いてはなりませんぞ。》

 以下、ただし夫の世話をするのは女房の役目ゆえ、言いたいことをすべて言わぬようにするのも、大事である、なんて訓戒もちょっぴり述べている。そして署名は「のふ」とのみ。つまり「信」。思わず三拝したくなるような、優しさ、気楽さである。