いい手紙は、どんな時代になろうと、読むものの心を豊かにしてくれる――

 歴史探偵・半藤一利氏が執筆した『手紙のなかの日本人』(文春文庫)には、歴史を彩る文人武人22人による美しい日本の手紙が数多く紹介されている。ここでは同書の一部を抜粋。山本五十六がしたためていた手紙について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

半藤一利氏 ©文藝春秋

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名をも命も

 昭和29年(1954)4月18日号『週刊朝日』で「山本元帥の愛人─軍神も人間だった!」と題して公開され、さらに阿川弘之さんの『山本五十六』(新潮社)がよりくわしくそのことにふれていらい、連合艦隊司令長官山本五十六大将の“愛人”と恋文のことはつとに周知のこととなった。この人はあらためて書くまでもなく、名古屋出身の元新橋芸者「梅龍」こと河合千代子である。

 それで山本の手紙となると、どうしても彼女あての恋文が連想されてくる。

 私の厄を皆ひき受けて戦つてくれてゐる千代子に対しても、私は国家のため、最後の御奉公に精根を傾けます。その上は──万事を放擲(ほうてき)して世の中から逃れてたつた二人きりになりたいと思ひます。

 二十九日にはこちらも早朝出撃して、三週間ばかり洋上に全軍を指揮します。多分あまり面白いことはないと思ひますが。今日は記念日の晩だから、これから峠だよ。アバよ。くれぐれも御大事にね。

  うつし絵に口づけしつつ幾たびか

    千代子と呼びてけふも暮しつ

ア然とさせられる内容

 『週刊朝日』と阿川さんの本がともに紹介しているミッドウェイ作戦に出撃直前、昭和17年5月27日付けの、山本の手紙である。写真にキスしているなどと、その甘い、甘い、甘すぎる文面もさることながら、大作戦を前に「29日」出撃という軍極秘事項を易々として明かしている。このことは司令長官どのとしては悠長にすぎ、かつ迂闊千万なことと、山本贔屓としてもなんとも情けない思いが残る。しかもこうした戦時下の彼女への手紙は一通や二通ではなく、実に数十通にも及び、それらはいずれも掲出のものと同様な、いや、それ以上に甘美な文言にみちあふれている。とても60歳に近い男のものとは思えない。あるいは軍人にあるまじきとくさされても仕方のないものもある。

©iStock.com

 とにかく、山本の恋文にかんする限りア然とさせられるばかりなのである。人間である以上、四六時中緊張のうちに生身をおいているわけにはいかず、たまには精神の解放も必要であろう。しかし、国家の興亡を賭した戦争の全指揮をとる現場の長として、しばしば夢かうつつかの境に身をおくことは、重い責任の放棄、そうとまでいわなくともきびしい現実からの逃避にひとしいことになろうか。