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勝ち目はまったくない

 二通目は、もう戦争は決定的となった同年の10月24日付けの、東条英機内閣の海相となった級友嶋田繁太郎大将あてのものである。内容は、さきの及川あての書簡の内容をもっと具体的にし、ハワイ作戦敢行の心境をもっと端的直截に述べたものである。

 いよいよ対米英戦争と決して、大本営のいうように東南アジア要地占領の南方作戦第一主義でやったとしても、その作戦での味方の損害が多くでて、兵力の伸びきるおそれなしとはしない。しかも航空兵力の補充能力がはなはだ貧弱な国力の現状である。そののちに大挙来攻する敵主力艦隊を迎え撃って太平洋上で一大決戦をやれといわれても、多くの損害を出したあとの寡兵では、それは至難というほかはない。勝ち目はまったくない。

 そして結論として山本はいう。

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 我南方作戦中の皇国本土の防衛実力を顧念すれば、真に寒心に不堪(たえざる)もの有之、幸に南方作戦比較的有利に発展しつつありとも、万一敵機東京大阪を急襲し、一朝にして此両都府を焼きつくせるが如き場合は勿論、さ程の損害なしとするも国論(衆愚の)は果して海軍に対し何といふべきか、日露戦争を回想すれば想半(おもいなか)ばに過ぐるものありと存じ候。

 聴く処によれば軍令部一部等に於ては、此劈頭の航空作戦の如きは結局一支作戦に過ぎず、且成否半々の大賭博にして、之に航空艦隊の全力を傾注するが如きは以ての外なりとの意見を有する由なるも、抑(そもそ)も此の支那作戦4年、疲弊の余を受けて米英支同時作戦に加ふるに、対露をも考慮に入れ、欧独作戦の数倍の地域に亘り、持久作戦を以つて自立自営十数年の久しきにも堪へむと企図する所に非常の無理ある次第にて、之をも押切り敢行、否大勢に押されて立上らざるを得ずとすれば、艦隊担当者としては到底尋常一様の作戦にては見込み立たず、結局、桶狭間とひよどり越と川中島とを合せ行ふの已むを得ざる羽目に追込まるる次第に御座候。

 そういいながらも山本は、最後の最後まで対米英開戦には反対である。「日米英衝突は避けらるるものならば之を避け、此際隠忍自戒、臥薪嘗胆すべきは勿論」と説き、そしてこの手紙の終りは、半ば諦めを告白しながらも、外交による日米問題の解決を切言して結ばれている。