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伊勢湾台風をきっかけに「改軌」「短絡線」

「比叡」と名づけられた国鉄準急は、翌年の1958年には5往復体制となり、新しい急行形電車(91系、後の153系)が投入された。そこで近鉄はサービス競争の新たな手札を切った。高速鉄道としては世界初の2階建て特急電車「ビスタカー」だ。大阪線で運用され、大阪から伊勢方面、名古屋方面の乗り継ぎ客にアピールした。

 しかし名阪間で言えば、国鉄はさらなる優位に立った。1958年11月、国鉄初の電車特急「こだま」の運行開始だ。東京~大阪間を日帰りできるダイヤが組まれ、行ったらすぐ戻ってくるというイメージが列車名に採用された。「こだま」の名阪間の所要時間は2時間14分だ。ついに所要時間でも近鉄より優位に立った。

 ただし、「こだま」の運行本数は1日2往復で、主な乗客は東京~名古屋・東京~大阪間だった。近鉄特急のライバルは準急であり、ビスタカーと増発で対抗できた。もっとも、「こだま」の成功によって国鉄の特急増発は予想できたし、1959年には「比叡」より停車駅を減らしてスピードアップした準急「伊吹」が誕生した。近鉄はますます劣勢となった。そんな中、近鉄にトドメを刺す事件が起きた。

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 1959年9月26日。伊勢湾台風の上陸だ。近鉄名古屋線の愛知県内区間は壊滅的な被害となった。近鉄蟹江~桑名間14キロは約2カ月にわたって水没。もちろん特急は運行できない。名阪伊勢ルートは断たれた。これまでの尽力が、まさに水泡に帰す。しかしこの時、近鉄社長の佐伯勇は「これはチャンスだ」と捉えた。予定していた改軌工事が始まれば、いずれ列車の運休、減便は必要になる。ならば、災害復旧と改軌工事を同時進行すればいい。

 約2カ月間の突貫工事が行われ、11月27日に被災区間標準軌による復旧と、既存区間の改軌が行われた。ついでにルートも調整され、急カーブなどの難所を解消し、高速運転向きの路線に改造された。江戸橋~伊勢中川間は、最初は標準軌、次に名古屋直通のために狭軌に改造された線路が、ふたたび標準軌に戻された。