「直通特急」の運行、「名阪ノンストップ特急」の誕生
12月12日、上本町~近鉄名古屋間の「直通特急」の運行が始まった。伊勢中川駅の停車とスイッチバックがあるとはいえ、所要時間は2時間30分まで短縮された。「こだま」には敵わないまでも、準急には勝った。サービスも抜かりない。直通特急の代表車両として、新型ビスタカー「10100系」が投入された。国鉄準急への追撃が始まる。
1960年には「名阪ノンストップ特急」が誕生する。実際には伊勢中川でスイッチバックするけれども客扱いのない「運転停車」とし、9往復を設定した。
次の大改革は1961年だ。さらなるスピードアップを図るため、伊勢中川駅の手前に大阪線と名古屋線を短絡する420メートルの線路を開通させる。これでスイッチバックが解消され、さらなるスピードアップが可能となった。上本町~名古屋回りの所要時間は2時間18分。ついに国鉄の準急、急行に勝利した。大阪側では鶴橋駅にすべての特急が停車するようになり、ノンストップ特急は「甲特急」、主要駅停車型特急は「乙特急」と呼ばれた。
次のターゲットは「こだま」とばかりにスピードアップが続けられ、1963年9月にはすべての列車をゼロから設定し直す「白紙ダイヤ改正」を実施した。甲特急の名阪間所要時間は2時間13分となり、ついに国鉄特急より早く到達できるようになった。ルートとしては遠回りだったけれども、新幹線と同じ標準軌で安定した走行ができたこと、国鉄路線と違い、特急最優先のダイヤを設定できたことも功を奏した。
名阪間のシェアは近鉄7、国鉄3。近鉄の大勝利だ。
しかし、この勝利も長くは続かない。
1964年、東海道新幹線が開通する。「ひかり」の名阪間の所要時間は1時間8分。従来の半分だ。「こだま」は約1時間半。どちらも近鉄特急より速く、運行本数は1時間あたり合わせて2往復。近鉄に勝ち目はなかった。名阪特急は廃止こそ免れたけれど運行本数は激減。臨時列車並みの2両編成という寂しい姿もあった。ライバルだった国鉄在来線の優等列車も壊滅する。