都営大江戸線の地下鉄工事で再注目された原爆マグロ
綺麗事が多いとは思うが、初対面だからこんなものだろう。試しに自分で実験した。「冷凍マグロと生マグロ」、「中国船から揚がった大西洋のマグロと日本の漁船が水揚げした太平洋のマグロ」を食べ比べる。まったく分からなかった。
築地とマグロといえば、市場の正門には原爆マグロの記念プレートが設置されている。
「1954年3月1日、米国が南太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で被爆(原文ママ)した第五福龍丸から水揚げされた魚の一部(約2トン)が同月16日築地市場に入荷しました。国と東京都の検査が行われ、放射能汚染が判明した魚(サメ、マグロ)などは消費者の手に渡る前に市場内のこの一角に埋められ廃棄されました。
全国では850隻余りの漁船から460トン近くの汚染した魚が見つかり、日本中がパニックとなって魚の消費が大きく落ち込みました。築地市場でも『せり』が成立しなくなるなど、市場関係者、漁業関係者も大きな打撃を受けました。
このような核の被害がふたたび起きないことを願って、全国から10円募金で参加した大勢の子供たちと共に、この歴史的事実を記録するため、ここにプレートを作りました。
マグロ塚を作る会 1999年3月1日」
築地を訪れる観光客は、大方、観光気分になっていて、このプレートに見向きもしない。しかし当時の築地はまさにパニックだった。原爆マグロ騒動は、日本中を巻き込んだ。
原爆マグロが再び注目されたのは、都営大江戸線の地下鉄工事の時だった。
埋めたと言われていた場所に駅を建設することになり、工事の際に大量の骨が出土すると思われた。が、掘り返してみると、1メートルほどで明治期の地層が出てきた。汚染マグロを埋めたのは地中3メートルだから、ここではないどこかに埋めていたのだ。いまも合計2トンの原爆マグロは築地市場のどこかに眠っていることになる。
豊洲に移転し、本格的に築地の解体工事が始まれば見つかるかもしれない。