文春オンライン

連載昭和事件史

「米国では死刑もの」の“芸人の息子誘拐事件”…“嫌われた人気者”の流した涙

「米国では死刑もの」の“芸人の息子誘拐事件”…“嫌われた人気者”の流した涙

トニー・谷長男誘拐事件 #1

2021/08/08
note

「トニー君はテレビで見たことあるが…」総理の声も新聞に

 目撃証言も真偽取り交ぜて相次いだ。その中で事件当日の朝、学校付近をうろついて「トニー・谷の子どもはどの子?」などと聞き回っていた40歳ぐらいの男が浮上。7月19日付夕刊読売は「犯人、ロイド眼鏡の男」の見出しで次のように報じた。

「この男が、15日午後3時ごろ、井之頭郵便局に速達を出しにきた子ども連れの男の人相とほぼ一致しているので、この男の足取りを追っている」

 まだ、報道協定のようなものはなく、各紙ともプライバシーなどそっちのけで“書きたい放題”。谷がラジオに加えて、放送開始間もないテレビでも救出を訴えたこともあって、報道が過熱したようだ。

ADVERTISEMENT

 反響は大きく、7月19日付朝日朝刊1面コラム「天声人語」は事件を取り上げて「真似する者が出ないかが心配だ」とつづった。同日付夕刊読売1面コラム「よみうり寸評」は、誘拐事件で警察に届けることの難しさを指摘。21日の読売社説は、事件は「世間に大きな衝動を与えている」と書いた。

 さらに、21日付夕刊読売は社会面トップで「鳩山さん正美ちゃんを語る」という記事を掲載した。時の鳩山一郎首相を登場させ、こう書いている。

「いま日ソ交渉、保守合同と寸暇もない鳩山首相。いや人一倍涙もろい、鳩山さんは16人の孫のおじいさんだ。しかも、このうち3人までが正美ちゃんと同じ6歳。それだけに鳩山さんのこの事件についての心痛は深いようだ。けさも国会へ出かける前のひととき、鳩山さんは私邸の2階書斎で薫子夫人と向かい合っていたが、目を窓外にやりながら、2人の間の話は正美ちゃんのことだった」

鳩山一郎首相も事件に強い関心を示したという(夕刊読売)

 アイデア賞のような記事だが、首相の言葉として「本当にどこにいるんだろうね、トニー君はテレビで見たことあるが、あのコメディアンがそんなにやつれたかねえ。気の毒に……」と伝え、「正美ちゃんの行方を心配する鳩山さん」という説明付きの写真も載せている。誘拐事件に一国の首相が、とも思うが、それだけ大きな話題だったということか。

 7月20日付朝日朝刊は「正美ちゃんを返して……」の見出しで母たか子さんの「身も心もくたくたになってしまいました」という叫びを報道。7月21日付朝日朝刊は「全都あげて捜査へ 警視庁管下各署へ指令 民間の協力を要望」と伝えた。

手配写真とともに「捜査難航」を伝える読売

 井之頭郵便局に近い「吉祥寺に捜査集中」(7月20日付朝日朝刊見出し)の情勢だったが、その後の足どりはつかめず、7月20日付読売朝刊は手配写真6枚を並べて「正美ちゃん捜査難航」の見出しを立てた。

◆◆◆

 生々しいほどの強烈な事件、それを競い合って報道する新聞・雑誌、狂乱していく社会……。大正から昭和に入るころ、犯罪は現代と比べてひとつひとつが強烈な存在感を放っていました。

 ジャーナリスト・小池新による文春オンラインの人気連載がついに新書に。大幅な加筆で、大事件の数々がさらにあざやかに蘇ります。『戦前昭和の猟奇事件』(文春新書)は2021年6月18日発売。

戦前昭和の猟奇事件 (文春新書 1318)

小池 新

文藝春秋

2021年6月18日 発売

「米国では死刑もの」の“芸人の息子誘拐事件”…“嫌われた人気者”の流した涙

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー