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 しかし、その後人気は凋落。1962年、テレビの「アベック歌合戦」の司会としてカムバックした。ソロバン片手に叫ぶ「あなたのお名前なんてえの?」が流行語になったが、そのうち次第に表舞台から去り、晩年は永六輔氏のプロデュースで渋谷の「ジァンジァン」など、小劇場でショーを見せていたという。

「アベック歌合戦」当時と1971年のトニー・谷(「週刊サンケイ」より)

「パロディーとはそんなもの」

「トニー・谷こそは、異端・邪道・外道芸人の華である。こんなに異端の道のみを歩いた奇妙な芸人を私はほかに知らない」とした「日本の喜劇人」はこう書いている。「この(誘拐)事件を契機として、トニー・谷の毒とアクはにわかに薄くなっていった」。

 そうかもしれない。終戦、占領とは、戦争に負けて他国の軍隊が国土に進駐すること。みじめで屈辱的なことだ。それは皆分かっていて、隠すか、なるべく直視しないようにする。そんな彼らは、トニー・谷の中に、自分自身の実像をデフォルメした形で見たのではないだろうか。彼は芸を通して「なんのかんの言ったって、負けたんじゃないか」と叫び続けた。それを見て人々は「本当はそうだな」と思い、屈折した笑いを浮かべたのでは?

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 事件の翌年、1956年は「もはや戦後ではない」と言われた年。そのころになると、人々は占領や戦後を忘れ、それを思い出させるようなものは見たくなくなっていたのではないだろうか。トニー・谷が晩年、テレビで昔の芸をやってほしいと言われて断ったときの言葉が残されている。

 あちしが二世みたいなしゃべりをやったのは、町に二世がいっぱいいたからだよ。アーニー・パイル劇場は、アメリカの芸人が出てて客席も全部アメリカ人。劇場の表を歩いている日本人にゃそれが見られない。だけど、同じ日本人の顔をした二世は、アメリカ人で、いくらでも劇場に出入りできた。そういう時代だったんだよ。どっちかってェと、二世ってのはキザだのなんだの嫌われてる時代だったんだ。だから、あちしのやったことに意味があった。ウケた。「レディース・アンド・ジェントルメン・アンド・おとっつあん、おっかさん……」がウケたんだ。パロディーってのはそういうものなんだ。それを今、この時代にやったって何の意味もありゃしない。そうだろ?

トニー・谷の死亡記事(毎日)

 1987年7月16日、肝臓がんのため死去した。69歳。昭和の大スター石原裕次郎の死の前日だった。同日付夕刊の訃報はいずれも誘拐事件に触れていたが、「ソロバン片手に軽妙な司会」(朝日)、「ソロバン片手に毒舌」(毎日)、「ソロバン片手に『サイザンス』」(読売)と見出しが奇妙に重なった。死後発売された復刻版LPは若い世代の人気を集め、トニー・谷に似せた服装をした若者も街に登場した。

【参考文献】

 ▽小林信彦「日本の喜劇人」 新潮文庫 1982年
 ▽羽中田誠「足 新聞は足でつくる」 朋文社 1957年
 ▽十返肇「評論集 現代文学の周囲」 河出書房 1956年

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 生々しいほどの強烈な事件、それを競い合って報道する新聞・雑誌、狂乱していく社会……。大正から昭和に入るころ、犯罪は現代と比べてひとつひとつが強烈な存在感を放っていました。

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