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 こうして誘拐は成功した。彼はそれからどうしたのか。号外記事は続く。

 15日午後1時すぎ、正美ちゃんを連れ出してから、2人はバスで池上まで行き、池上線池上駅から蒲田へ出てブラブラしたが、あてもなく、今度は目蒲線で田園調布まで行き、さらに東横線で渋谷へ出た。井之頭線で吉祥寺に向かい、井之頭郵便局から用意の脅迫状を出した。

 立川駅から郷里の長野に向かい、途中松本駅構内で一泊。翌16日朝、篠ノ井で降り、バスで戸倉に行き、自宅へ帰った。妻梅子さんには「この子どもはいま計画中の雑誌関係の大切な人の子だ。よく世話しろ」と言い置いた。逮捕前日の20日には夜11時、戸倉をたって、21日朝5時、上野駅に着いた。渋谷、神宮外苑などをぶらつき、午前中数回にわたり、谷家に金を持ってこいという電話をかけた。

「眼鏡の奥がキラリと光った。谷さんは泣いていた」

 7月22日付朝刊各紙は事件解決を社会面大半をつぶして大きく報じた。目立つのは朝日に載った「カヤから飛出して来た正美ちゃん(手前白シャツ)後方は犯人の長男」の説明が付いた大きな写真。記者の現場到着が警察よりも早かったのか、「リンゴ畑の農家に 正美ちゃん 誘かい当時の姿で」という記事も掲載されている。

 【長野発】正美ちゃんは信州の湯の町、上山田温泉、山の間のだらだら坂を上り詰めた街外れ、水上のリンゴ畑の中の農家にいた。

 夜中の1時半ごろ、この家の戸をたたくと、梅子さんが出てきた。「新聞社の者ですが、正美君を迎えに来ました」と言うと、すぐに部屋に通してくれた。カヤの中には同家の男の子と女の子のほかにいま一人坊やがいる。記者は「正美君だ」とすぐ気づいた。「正美君」と声をかけると、正美ちゃんは勢いよくカヤの外に出てきた。正美ちゃんは丸首シャツと白いズボン下という、誘拐された当時の姿のままだった。病気一つせず元気だった。

 宮坂は妻にも本当のことを言わず、家の子どもと一緒に扱っていたようだ。長野県の地元紙・信濃毎日新聞は7月22日付朝刊で「県下にいたトニー・谷愛児」の見出しで報道。篠ノ井署に保護された正美ちゃんの談話を写真入りで載せている。

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長野県の地元紙・信濃毎日新聞に乗った事件の記事

「学校の帰りに『いい所へ連れて行ってやる』と言うから、ボクの好きな上野動物園へでも連れて行ってくれるのかと思った。ところが、汚い家へ連れて行かれ、毎日パンばかり食べさせられた。にぎやかな所で3つか4つ止まって、そのうちに汽車に乗せられ、遠い所へ連れてこられた。ここでは毎日川に遊びに行っていたが、おじさんはそう怖くはなく、おばさんも親切にしてくれた。1日も早くお父さんやお母さんに会いたい」

 各紙には発見・保護を喜ぶトニー・谷夫妻の談話と写真もある。毎日の記事は「胸が痛いよ、うれしくて 泣き合って喜ぶ谷夫妻」の見出し。

「(午前)1時40分、谷さんの2階の居間の電灯がともった。『犯人が捕まったぞ』と大声で呼び掛ける記者団の声に、トニーさんはくぐり戸を開けて現れた。カメラのフラッシュ、フライヤーが喜びのトニーさんをとらえる。『手を上げて』『谷さん、笑って』とカメラマンの注文に『舞台と違うんだ』と谷さんは大声で怒鳴った。表情を忘れた“父親トニー”の喜びの姿だった。鉢巻きをして水色のワイシャツ姿で記者団に取り巻かれた谷さんは『うれしいんだよ』『舞台と違うんだよ』ともう一度繰り返した。それでもホッとしたように、やっといつものトニーさんらしい表情に返り、笑ってカメラマンの注文に応じた。眼鏡の奥がキラリと光った。谷さんは泣いていた」