そこに現れたのは、ひげも剃り落とした“普通のおとうちゃん”。舞台などでのイメージとは懸け離れた姿を世間に露出した。このことが彼のその後の芸人人生に大きく影を落としていく。
親子対面できず「見世物じゃないぞ」
各紙とも宮坂の経歴を書いている。「前に教員もやった」が見出しの毎日にはこうある。
「宮坂は昭和13(1938)年、青山師範(東京学芸大の前身の1つ)二部二甲中退後、1年間、長野松代青年学校助教員を務め、立川青年学校事務職員を終戦までやった。その後、信州物産の紹介雑誌『信州業界』の発行をもくろんでいたが、2年前、自転車の窃盗で上山田警察に検挙された。屋代簡裁で懲役2年執行猶予3年の刑を受けたことがある」
事件解決の反響も絶大だった。7月22日付夕刊各紙は、トニー・谷夫妻が大宮駅で長野から列車で帰京する長男を出迎えたものの、押し寄せた群衆による混雑で対面できなかったことを報じている。
「正美ちゃんを乗せた列車は22日午後2時14分、両親の待つ大宮駅へ滑り込んだ。その途端、駅を埋めた群衆は正美ちゃんの車両の窓に殺到して大混乱となった。正美ちゃんは付き添っていた警視庁・宮本捜査一課員がシッカと抱いてやっと防ぎ止めるという騒ぎ。一方、榎本健一氏に付き添われたトニー・谷夫妻もこの混乱に巻き込まれ、タカ子夫人が『正美ちゃん』と呼べど、人垣に隔てられて近寄ることもできない。正美ちゃんを抱いた警視庁の係員は、この騒ぎに正美ちゃんとトニー夫妻の対面を断念。逃げるようにして駅の外へ飛び出し、回してあった自動車で一路大森へ。8日目の対面をジリジリして待っていたのに、すれ違い対面となったトニー氏はカンカン。『おれは見世物じゃないぞ。どうしておれの子どもに会わせてくれないのだ』と泣き声でわめき出す」(朝日)
「軽すぎる誘拐罪」
いまにつながる過熱報道。夕刊では、警視庁捜査一課長を通じた形での宮坂との一問一答が各紙に載った。読売の記事は――。
問 当局に感づかれずに成功すると思ったか。
答 金が取れると思った。親として子どもが大事だから、トニーは万難を排して金策すると思った。
問 もし不成功の場合は、正美ちゃんをどう処置するつもりだったか。
答 不成功ということは考えなかった。正美ちゃんのことも深くは考えなかった。殺すことは絶対ない。
問 正美ちゃんは家に帰りたがらなかったか。
答 毎日川へ泳ぎに連れて行ったが、それほど帰りたがりはしなかった。それでも時々帰りたがった。
問 現在の心境は。
答 世間を騒がせ、大谷夫妻に迷惑をかけてしまい、世の親たちにも心配をかけて誠に申し訳ない。
その読売には「軽すぎる誘拐罪 “新しい法律”へ識者の声」という別項の記事も。事件の容疑は営利誘拐罪だが、最高10年の懲役が規定されているだけで「その罰則は子を持つ親の心情からすれば、むしろ軽きに失するとの声もようやくあがってきた」と指摘。
主婦連理事や大学教授の意見に加えて、衆院法務委員会事務局の「適用刑法の内容を検討している」との見解を紹介している。
事件解決は朝日の「三角点」、読売の「よみうり寸評」といった夕刊1面コラムも取り上げたうえ、翌7月23日付朝刊1面コラムの朝日「天声人語」、読売「編集手帳」も論じた。朝刊にはようやく再会した谷親子の写真も載っている。