「恐るべき無軌道の殺人鬼ぶり」
さらに朝日の同じ紙面には別項で「栃木の少女殺しにも疑ひ(い)」の記事が。それによれば、1945年12月に日光町の高等女学校4年生(17)が行方不明となり、翌月刺殺体で発見された事件と、同じ1945年12月に日光の姉のところに遊びに出かけた東京の19歳女性が自分のマフラーで絞殺された事件が小平の犯行ではとの疑いが出てきたとされた。
のちに東京の女性については小平が犯行を自供し、法廷でも認定されたが、高等女学校生の件は無関係と分かった。それでも、連日「これも小平の犯行か」「あれもか」と報道がエスカレート。世間の関心も高まった。
9月5日付読売の社説は「娘殺し事件の教訓」の見出しで取り上げ、「今日一般に子女の浮薄と虚無的傾向が問題視されている」と指摘。「責任全部を子女の無自覚そのものに負わせ、放任しておいてよいであろうか」と問い、娘の帰宅時間の厳守など、両親の適切な指導を求めた。それが当時の「常識」だったのだろう。
9月30日付読売は「買出し娘二人殺し 小平、犯行を自白 芝山内と同一の手口」として初めて買い出しに絡んだ小平の犯行を報じた。1945年10月に見つかったが迷宮入り事件とされていた「都下北多摩郡清瀬村(現清瀬市)雑木林内に白骨と裸体となって発見された2つの女性他殺体も自分のやったことだと自白。恐るべき無軌道の殺人鬼ぶりが明らかになった」と記述。次のように続けている。
白骨の方が王子区上十條、紺藤與助さんの次女(21)で、(1945年)7月15日朝9時ごろ、知り合いの買い出し先、埼玉県入間郡柳瀬村(現所沢市)にイモの買い出しに行くと出たまま行方不明となったもの。裸体の方は王子区下十條、松下伊十郎さん長女(21)=出版社「創元社」会計係=で9月28日、勤務先の先輩と東京駅で待ち合わせる約束だと、家を朝出たまま分からなくなったもの。
「背後に毒牙は磨かれていた」
それぞれについて記事は小平の供述内容を書いている。
▽紺藤さんの場合 池袋の露店街をぶらついていたところを小平が目をつけ「どちらへ買い出しに行かれるのです。私も500円(現在の約7万9000円)持っていて買い出しに行きたいのですが、初めての所では売ってもらえないでしょう」と優しく話しかけた。殺人鬼と知る由もなく、「大丈夫ですわ。知り合いの所に行くのですから」。では一緒にということになったのが最大の不幸になったわけで、武蔵野線(現・西武池袋線)清瀬駅から1里(約4キロ)歩き、3町歩(約3ヘクタール)ぐらいの雑木林を近道だと横切った時、小平の毒牙は小さな獲物に飛びかかった。
▽松下さんの場合 先輩が15分ほど遅れた。人待ち顔の被害者の背後に小平の毒牙は磨かれていた。「買い出しにとてもよい場所があるから」との甘言にふらふらと死の清瀬行きとなってしまった。15分遅れたとはいえ、友達と会う約束の娘を誘い出す小平の甘言は、変質者だけに常人が想像できないほど巧みなものがあったのだろうと警視庁係官もあきれている。
記事には「類例のない變(変)質者」が見出しの警視庁鑑識課の談話が付いている。