高校卒業後は「銀行に6年8ヶ月勤めていました」
600万円を渡してくれたのは、建設会社の社長だという。それだけの援助をしてもらえば、十分だろう。コロナ禍であってもお金は有るところには有るものだ。
以前、文春オンラインで取り上げた吉原のソープ嬢もコロナ禍で強かに生きていた。遠く離れたススキノで同じような話を聞くとは思いもしなかった。転んでもタダでは起きない2人に感心せずにいられなかった。
では、めぐみさんは、どのような経歴でソープランドで働きはじめたのだろうか。
風俗以前の人生についても話を聞いた。そこで出てきた言葉は思わぬものだった。
「高校を卒業してから、銀行に6年8ヶ月勤めていました。いたって普通に働いていたんです。窓口でお客様の口座に入金したり、保険を売ったりしていました。楽しい仕事ではなかったですよ。1回知らない人の口座に1300万円を間違えて振り込んでしまうミスをしたこともありました。3年目ぐらいに同期と後輩に『楽しいから』と、ホストクラブに誘われたんですよ。それで、一度行ってみたら、私もハマっちゃったんです。銀行はサービス業でもありますから、日々のストレスがあったのかもしれません。ホストに優しくされて、悪い気はしなかったです。それからお給料のほとんどを注ぎ込みました」
――行こうという気になったということは、もともと興味はあったんですか?
「そうです。私が中学ぐらいの時に姉がホストクラブに行っていたんです。『楽しいホストの遊び方』とかいうDVDがあって、それを見てから行きたいなと思うようになったんです」
「お金ってこんなに稼げるんだって、楽しい気持ちでした」
ホストクラブ通いがはじまると、銀行の給料だけでは十分に遊べず、もっと稼ぎたいという欲求が強まっていった。
「当時の給料が手取りで18万円ぐらいしかなくて。それでお金を稼ぐために風俗で働くことにしたんです。それで、ホストクラブに連れていってくれた同期とヘルスの面接に行ったんです」
――抵抗はなかったですか?
「まったくなかったですね。本当に軽い気持ちではじめました。銀行で働きながら、土日にヘルスで働いたんですけど、土日だけで銀行の給料を上回ってしまうんで、お金ってこんなに稼げるんだって、楽しい気持ちでした。ホストクラブにも気軽に行けるようになって、何だか毎日充実していました。2ヶ月ぐらいヘルスで働いて、そこからもっと稼ぎたいとソープに移ったんです。そんな生活が3年ぐらい続いて、銀行を辞めたんです」