NHKの番組が招いた誤解
――報告書の中には、「本調査の前に放映されたNHKの番組や探偵によるいじめ調査の影響で、本調査に対し抵抗感がある」との記述がありましたが……。
信太郎 これも揉めたんです。NHKから「いじめの調査で苦しんでいる案件が増えている。常設委員会にスポットに当てたい」と協力依頼があったんです。そのため、取材を受けました。放送日が近くなって番組表を見ると、探偵のことでスポットが当たっている内容でした。たしかに、テレビに出ていた探偵にはメールし、連絡を取りました。しかし、探偵として依頼はしていません。取材を受けた番組の方向性が当初のものと違うので、代理人を通じて、内容証明を送りましたが、いまだに回答がありません。
内容的には、犯人探しをしているかのようになっていましたので、誤解する保護者がいるのでないかと思い、学校に「保護者に説明させてください」と言ったんですが、その機会が与えられませんでした。私たち遺族は探偵に依頼していませんし、そうした方向性としてNHKの取材を受けたわけではないです。しかし、その誤解をされた状況を学校が利用したと思います。“犯人探しをしている”という噂の念押しになってしまいました。
謝罪ではない、ただの弔問だった
――教育長が市長とともに謝罪にきたと思いますが、どう感じましたか?
信太郎 これまでにも教育委員会は自宅にきていました。それを「謝罪」と言っていましたが、我々が思う「謝罪」とは違います。「謝罪」というのは、事の経緯がわかっていて、深い反省を表すものです。亡くなったときに手を合わせるのは「謝罪」ではありません。それは弔問の一種です。価値観が違います。最初の訪問は「謝罪」とは受け取れません。遺族感情をどこまで逆撫でするのでしょう。謝るにしても誰に? 娘に対してですよ。私に謝っていただいても意味がありません。また、当時の教育長は電話での謝罪のみ、(華子さんが亡くなったのちに赴任して)3年あまり在籍して調査にあたった校長からは、未だ謝罪どころか連絡すらありません。これを謝罪というのでしょうか?
今年も市内で中学生が自死しました。市教委にも相談していたそうですが、救えたはずの命ではないでしょうか? 何人亡くなればいいのですか? 娘を含め、亡くなった子ども、遺族への冒涜が甚だしい。形だけ向き合っても何も変わりません。
そのような姿勢が娘の死へつながったんです。全部、延長線上にあります。本気で思うなら、取り組み方が違っているはずです。結局、形式的になり、子どもが命をなくすのです。行政的な枠組みに問題があります。国も地方行政に丸投げしています。子どもはその犠牲になる。そんなことはやめてほしいです。いつまで一地方行政の問題としているのでしょうか。