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沙恵ちゃんがした苦労の半分もしなくてすんだ

――奨励会では伊藤女流三段と仲良くしていたのですか。

加藤 お昼のお弁当は一緒、職団戦の手伝いとか奨励会員のお仕事にも一緒に行っていました。奨励会に女の子が1人なのと2人いるのとでは心強さが全然違います。私は沙恵ちゃんがした苦労の半分もしなくてすんだと思っています。奨励会員同士だから競争相手でもある。将棋の面では、沙恵ちゃんの雁木に勝ちたいと勉強しました。

――八代七段は、伊藤女流三段、加藤女流三段のことを「男子と同じではなかったかもしれないけれど、仲間として受け入れていた」とおっしゃっていましたが、加藤先生はどのように男子ばかりの奨励会に馴染んでいきましたか。

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加藤 蒲田将棋クラブに通う奨励会員は「蒲田軍団」と言われ、私も奨励会員になる前から通っていたので、その仲間に入れてもらいました。奨励会では弱いと思われると相手してもらえなくなるから、そこは舐められないように頑張らないといけなかったです。静岡ではほとんど接点のなかった八代さんとも蒲田で話すようになりました。静岡つながりで優しかったというか、練習対局など声をかけてもらいましたね。

 蒲田に来ていたのは、佐々木勇気さんや三枚堂達也さん(七段)、高見泰地さん(七段)、黒沢怜生さん(六段)、杉本和陽さん(五段)、鈴木肇さん(元三段、アマ名人)、他にもお世話になったたくさんの奨励会員がいました。男の子は道場の外で鬼ごっこや缶蹴りをして遊んでいることもありました(笑)。

突然の父の死

――「ねこまど48時間テレビ」の伊藤&加藤のトークショーでは、「女子奨励会員を応援してくれるけれど、四段になれないと思われていた」という話が出ていました。足を引っ張るわけではないものの、無理じゃないかと言われてしまうことはよくあったのでしょうか。

加藤 奨励会に入ってからも、「いいところまで上がったら女流棋士になりなさいね」としょっちゅう言われていました。男子と同じく四段になりたくて奨励会にいるのに、そう見られなくて嫌になっていました。特に棋士に言われてしまうのは重いです。奨励会員にとって棋士は大きな存在で、プロが言うなら無理なのだろうかと考えてしまって……。棋士の先生も悪気があるわけではないと思うのですが。特にご年配の棋士に言われることが多かったです。

――奨励会ではなかなか5級に上がれませんでした。

加藤 2年かかりました。奨励会では勝率5割を下回り、離れても行き来していた両親からは「桃子は潜水艦タイプ」と言われていました。潜っているけど浮上することがある。そのタイミングで上がれると励まされていました。そんななか、中2のもうすぐ夏休みが終わる8月25日に父が急病で亡くなりました。その数日前、元気だった父から「奨励会の白星も集まってきたし、もう少ししたら5級になれるんじゃないか」と言われたのをよく覚えています。