「5級に上がったよ」と心の中で父に報告
――お父様が突然亡くなって、将棋に集中できなくなったりなさらなかったでしょうか。
加藤 ものすごいショックでした。けれど、将棋を頑張る以外に父のためにできることはありません。力になってくれる奨励会員もいました。覚えているのは、高見さんと永瀬さん(拓矢王座)です。高見さんは「応援しているよ」と言ってくれて、「将棋指そう」と誘ってくれました。兄弟子の永瀬さんは、自分の研究会に私を入れてくれたりすごくお世話になっていて、父を亡くした直後は指す機会を増やしてくれました。そのお陰で、積み上げた白星を無駄にせず、父が亡くなって1カ月後の例会で5級に上がることができました。父には心の中で「5級に上がったよ」と報告しました。
――ただ慰めるのではなく、将棋を指せるように接してくれるのが奨励会員の優しさなんですね。永瀬王座にはよく教わっていて厳しいことを言われたこともあったと読んだことがありますが、実際にはどうだったのでしょうか。
加藤 永瀬さんは厳しい面もあるけれど、感謝しています。6級の私を有段の永瀬さんが研究会に入れてくれるなんて普通はあり得ない。何十連敗もしましたけれど、どれだけ勉強になったかわかりません。「桃子ちゃん、昨日の順位戦(の棋譜)は見た?」と聞かれて「まだ全部見てません」と答えたら、「何やってるの?」と言われました。当然勉強しなければいけないことを教えていただきました。
勝ったときのパスタのほうがずっと美味しい
――お父さまが亡くなってからは、お母さまも東京で一緒に暮らすようになったのですか。
加藤 そうです。母は東京で仕事を始め、祖父母と母と私の4人で暮らすようになりました。祖父は昨秋亡くなりました。車で私を例会の朝、将棋会館まで送ってくれたり、蒲田の道場で指して遅くなったら迎えに来てくれたり、たくさんサポートしてくれました。母とは例会の後、渋谷などで待ち合わせて外食をして帰ることが多かったです。私が元気が出るように好物の鰻を食べることもありました。でも、例会で3連敗すると、どんな高級な鰻でも美味しくない。勝ったときのパスタのほうがずっと美味しかったです。
――奨励会時代はかなり勉強されていたと聞きました。1日10時間くらいしていたとか。
加藤 記録係などの仕事がないときは、蒲田の道場で朝10時から夜の7時か8時くらいまで指していました。記録係は多いときで週3くらい。道場や記録係の後でも、帰ってから必ず棋譜並べを8局とか決めて、それは休まずにやっていました。偉いな、自分(笑)。
並べたのは大山康晴全集とか、羽生先生(善治九段)、佐藤先生(康光九段)の全集です。渡辺明名人の将棋にずっと憧れていて、渡辺名人の全集「永世竜王への軌跡」もずいぶん並べました。
――その時と比べて今の勉強量は。
加藤 かなり減ってしまいました。1つは奨励会員から女流棋士に立場が変わって、お仕事もするようになり、周りのことをいろいろ考えなくてはいけないからです。奨励会時代は自分のことだけを考えて勉強していれば良かったけれど……。ただ、甘いとも思うので、少し前から勉強量を増やすようにしています。
写真=山元茂樹/文藝春秋
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