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「君、何段?」と聞いていた少年は…

 母は私が将棋年鑑の棋譜を暗記していたとき、間違えずに覚えているかテストしてくれたり、勉強のサポートをしてくれました。大会で、先手の相手が棒銀で攻めてきたのに、後手の私も得意の棒銀で対抗してしまったときは、自分から序盤で不利になるような作戦は良くないと叱られたこともありました。

――お母さまは将棋がわかる方ですものね。八代弥七段のインタビューでは、JTプロ公式戦と同時開催されるこども大会(静岡大会)で加藤先生のお母さまが、八代少年と加藤少女が予選で当たらないよう、手合いカードを持っていくタイミングをずらすようにアドバイスしたお話を聞きました。お母さまは、他の強い子にも詳しかったのですか。

加藤 上野の松坂屋デパートの小学生大会に参加したときには、母は「あの子が佐々木勇気君」と気が付いていました。佐々木君は小学生名人戦を小4で優勝したり、私と同学年のスーパースターだから、みんな知っていたかも……。私は予選で当たらないように、離れた席に座った記憶があります。佐々木君は「君、何段? 俺〇段」と周りの子の段級を聞きまくって元気な男の子でした。

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お母さまと東京・お台場にて(写真提供:加藤桃子女流三段)

「青野先生の秘蔵っ子」という評判

――今はなくなってしまった上野の松坂屋の大会には、強い子が集まっていましたね。1学年上の八代七段と初めて当たったのも、静岡ではなくその大会と聞いたのですが。

加藤 そうなんです。同じ静岡で私が聞いた八代君の評判は「伊東に青野先生(照市九段)の秘蔵っ子がいる」というものでした。八代君は、私が欠かさず出ていた小学生名人戦や倉敷王将戦の静岡県大会に出てこなくて、「どんだけ秘蔵なの」と思っていました。予選を通過し、クジを引いて本戦トーナメント表を見たら、1回戦の相手は「八代弥」。「何て読むのかな。やしろ? あっこれは青野先生の秘蔵っ子!」。

 お互いに「静岡で評判を聞いた子」と気が付いたのに、そんな話もせずに対局し、私が勝ちました。でも、時間切れだったか内容的には八代君が良く、悔しかったみたい。次に対局したJTの静岡大会の準決勝のときは八代君の勝ちで、去り際に「この前の借りを返したね」と言われました。本人は覚えてないそうですけれど(笑)。

こども将棋大会。周りは男の子ばかりだった(写真提供:加藤桃子女流三段)

――たくさんの大会に出られていますが、県代表になったことはありますか。

加藤 小学生名人戦は代表になれませんでした。八代君は出てなくても、静岡には後に父の学校に入って全国優勝する男子や、奨励会に入る男子などライバルがたくさんいました。

 高学年・低学年で分かれている倉敷王将戦では、高学年・5年生のときに代表になったことがあります。安恵八段が教えている東京将棋会館の教室で、同学年の青嶋君(未来六段)と友達になり、東京都代表になった青嶋君と一緒に倉敷に行った記憶があります(※青嶋六段は高学年の部で全国9位。加藤女流三段は14位)。倉敷では1学年下の朋佳ちゃん(西山女流三冠)と知り合いました。数少ない女の子同士、練習対局をしました。その時の朋佳ちゃんは、三間飛車でしたよ。住所を聞いてずっと年賀状を交換していました。