10年前の2011年。東日本大震災のあったこの年は、加藤桃子女流三段と女性奨励会員にとって大きな出来事があった。新たに始まった女流棋戦「リコー杯女流王座戦」が、女流棋士の資格を持たない女性奨励会員やアマチュアに門戸を開いたこと、そして里見香奈女流四冠が奨励会入会を希望し、西山朋佳女流三冠、伊藤沙恵女流三段、加藤女流三段の女性奨励会員3人を相手に奨励会編入特別試験が行われたことだ。
この年のことをまず聞いてみた。そして、奨励会退会のいきさつ、女流棋士になってからの変化へとインタビューは続いた。
女流王座戦の発表の次の日に東日本大震災が起きる
――16歳で奨励会2級だった2011年に大きな出来事がたくさんありました。まず、新棋戦のリコー杯女流王座戦のことから。エントリー制で女性奨励会員が出るのは義務ではなく、出場しないこともできたわけですが……。
加藤 リコー杯女流王座戦の発表を聞き、すぐに「エントリーする」とは思えませんでした。というのは、棋士や女流棋士がいるのは華やかな世界で表舞台ですよね。奨励会員は陰の存在なんです。奨励会フィルターと言ったらいいのか、自分は修行中だから日の当たるところに出てはいけないと感じていて。華々しく始まる女流棋戦に出るのに躊躇しました。
――女流王座戦の発表が3月10日で、その翌日には東日本大震災が起きました。その日は将棋会館にいらしたそうですね。
加藤 記録係をしていました。橋本崇載八段-大平武洋六段戦でした。14時46分に東京将棋会館を強い揺れが襲い、最初は長机にしがみつきました。銀沙の間で、向かいの記録の机には谷合君(廣紀四段)が座っていました。揺れているうちに、出口を確保しなければと気付き、なんとか立ってふすまを開けました。
余震で中断しつつも最後まで対局は行われ…
――静岡県は地震に備えた防災教育が盛んです。加藤先生も小学生のときにその教育を受けていたから、とっさに出口の確保ができたのでしょうか。その後はどうされましたか。
加藤 そうそう、防災教育ありました。そのお陰かもしれませんね。そのふすまからみんな部屋を出ていき、将棋会館の外のスペースにいったん避難。別の部屋で対局していた勝又清和七段が「これは非常事態です」とおっしゃったと思います。対局は続行されることになり、対局室に戻りました。余震で中断しつつも最後まで対局は行われ、記録係を続けました。
――対局が終わって森下卓九段と一緒に歩いて帰宅しながら、女流王座戦のことを相談したら「出る一手です」という答えで、それでエントリーの決意を固めたと女流王座就位式でスピーチされていました。
加藤 そうですね。電車は止まり、家の方向が同じ森下先生が声をかけてくださり、歩いて帰りました。エントリーを迷ったけれど、森下先生に相談して良かったです。メールで母と連絡はとれていました。祖父が車で向かってくれて、途中で会うことができ、森下先生も祖父の車でご自宅までお送りすることができました。