――どのようなところが良かったのでしょう?
加藤 それまで知らなかったタイトル戦の仕組み、スポンサーなど多くの方の尽力があって将棋が指せるということが理解できるようになりました。感謝できるようになったと思います。また、公式戦を指す機会は、本当に貴重でそこでしか学べないものがありました。
日を浴びる立場になると、気持ちが難しかった
――タイトルホルダーになって注目されるようになったことは良かったですか。
加藤 陰だと思って暮らしてきたのに、日を浴びる立場になると、気持ちが難しかったです。周りが一奨励会員として見てくれなくなって、気を遣われるようになりました。でも、記録係や将棋イベントの裏方のお手伝いは、以前と変わらずに務めるよう心掛けていました。
それまで雲の上の存在だった棋士の先生と一緒にお仕事をする機会が増え、お話しすることができるようになったのは、戸惑いながらもありがたいことでした。将棋を教えていただく機会につながったりと良いこともありました。
――賞金はどのように使いましたか。
加藤 スポンサーへ失礼のないようにしたいですし、恥ずかしい服装で人前に出るわけにはいきません。それで服を買いました。奨励会の例会では、ずっと襟付きのシャツにパンツにカーディガンという地味な服装でしたけれど、女流棋戦に出る時は注目され写真も撮られます。きちんとしつつ少し華やかなものも欲しい。バーバリーやタータンショップヨークのワンピースを買いました。
奨励会の成績としてカウントされるから絶対に負けられない
――話がタイトル獲得の前に戻りますが、里見香奈女流三冠(当時)が奨励会への入会を希望して、2011年5月に編入試験が行われました。加藤2級、伊藤2級(この2局は里見後手)、西山朋佳4級(香落ち)の女子奨励会員3名に勝ち越せば1級編入という特別試験でした。このときのことを教えてください。
加藤 里見さんは3学年上で、私が奨励会に入りたて、里見さんが15歳くらいのときは里見ブームで毎週活躍が「週刊将棋」に載り、すごく強い女流棋士だと思っていました。2007年の世田谷花みず木女流オープンで対戦して、負けたこともあります。里見さんが奨励会に入ることが嫌なわけではまったくなかったのですが、なぜ試験の相手が私たちなのとは思いましたね。
――当時の里見女流四冠は19歳で年齢的に奨励会1級受験が可能だったのに、米長邦雄将棋連盟会長(当時)の方針で「女の戦い」と特別編入試験になりましたものね。
加藤 そうなんです。試験の勝敗は私たちにとっても奨励会の成績としてカウントされます。だから絶対に負けられない。伊藤さんともそんな話をしましたね。私は里見さんの棋譜を研究し、徹底的に準備しました。
やり過ぎたのか、試験(奨励会例会の一部として行われた)の前に熱を出してしまいました。幹事の先生に「熱があるので、早退します(前日に連絡すれば不戦敗にはならない)。でも里見さんとは指します」と伝え、1局だけ指しました。私は勝ち、同じ日に行われた伊藤-里見戦、別の日に関西で行われた西山―里見戦で里見さんが勝って1級に合格しました。伊藤さん、西山さんからは、それぞれメールやSNSで「負けちゃった」「めっちゃ悔しい」と連絡がありました。