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1969年に発覚した「黒い霧事件」

 日本の戦後史において特筆される「八百長事件」が2つある。1969年に発覚したプロ野球、オートレース界を舞台とする「黒い霧事件」と、2011年の「大相撲八百長事件」だ。

 この2つの事件は、プロ野球、大相撲という人気スポーツで起きた不祥事だったために、その注目度は極めて高かった。

「黒い霧事件」は国会でも取り上げられる社会問題となり、世論の突き上げを食らった当時の日本野球機構(NPB)とコミッショナー委員会は厳格な調査を迫られた。その結果、敗退行為を認めた永易将之らの証言に沿って、八百長そのものを最後まで否定した多数の人気選手が、刑事罰を受けていないにもかかわらず永久追放処分となった。その代表格が入団5年で99勝を記録していた天才投手、池永正明(西鉄、2005年に処分解除)である。

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球界を揺るがせた「黒い霧事件」で永久追放処分を受けた西鉄のエース・池永正明 ©️共同通信社

 この「黒い霧事件」はオートレース界にも飛び火した。プロ野球選手と暴力団員が、野球のみならずオートの八百長も仕組んでいたことが発覚。現役のオートレース選手19名が逮捕された。騒動の震源地となった大井オートレース場(東京都品川区)はイメージが悪化し、1973年に閉場している。

2011年の「大相撲八百長事件」

 大相撲の八百長事件は記憶に新しい。角界では長年「注射」の存在が指摘され、星勘定を仕切る「中盆」と呼ばれる力士が実名で八百長工作を告白したこともあったが、相撲協会はどんなに具体的な証言が出たとしても一切、八百長を認めてこなかった。

 ところが2011年、決定的な証拠が明るみに出る。2010年、野球賭博事件で摘発された力士の携帯電話を警視庁が押収したところ、八百長の打ち合わせと見られるメールが多数確認された。警視庁は日本相撲協会の監督官庁である文部科学省にメールを提供。動かぬ証拠を突きつけられた相撲協会は徹底的な調査を迫られ、最終的に親方、力士ら24人が解雇、引退勧告などの形で角界から追放された。