1994年7月8~9日、ともに23歳の羽生六冠と郷田五段による七番勝負第1局。駒組の段階で、羽生が昼食休憩をはさんで73分の長考で角を1つ上げる。対して郷田も91分で同じく角を上がる。さすれば羽生は70分考え、じっと銀を上がったのだ。指し手だけみれば、序盤の「普通の3手」に4時間もかけたのだ。
まだネット中継がない時代、私は将棋連盟で棋譜入力のバイトをしていて消費時間に驚いた記憶がある。年齢制限まで1年を切った私にとっては、1手に三段リーグの持ち時間すべてを使う(三段リーグの持ち時間は昔も今も90分)とは、年下の2人がとてもまぶしく、そしてうらやましかった。
慌てて攻めず、間合いをはかり、相手に手を渡す
2日目、豊島は桂を跳ねて相手の飛車を追い、自分の飛車が飛び出た。流れからいえば藤井も飛車を追うところだ。実際控室でも飛車取りに銀を出る手を検討していた。
しかし、藤井はじっと歩を打って受け、またも相手に手を渡した。
前回、難敵との戦いを制するために「自らスタイルを切り替えた」と題したが、「慌てて攻めず、間合いをはかり、相手に手を渡す」指し手を意図的に選んでいる。
この局面の飛・角・桂を対比して見ると、角と角は同じ位置で自ら交換すると歩が自然に前に出てきて損。飛車は狙われそうな豊島の高飛車に対して、横利きが通った藤井の下段飛車が勝り、玉と角の逃げ道を止めた豊島の桂に対して、攻めの桂が跳ねた藤井。位置関係が良くない豊島は焦った。
そして、銀を出てしまった。
次の端桂をうっかりしていたとは思えない。前局でも藤井は端桂を跳ねていたのだから。手番を渡してプレッシャーをかける藤井の指し回しが読みを狂わせたのだ。
飛車が逃げると銀が取られるし玉砕覚悟で決戦するしかないと、誰しも思った。
しかし、豊島は飛車を引き、出たばかりの銀をただで取らせた。この局面だけを切り取って見れば一番粘れる手かもしれない。それでも、ここで飛車を引く棋士は他にはいないだろう。
「王位戦で一番印象に残った手は」と問われたら、私は△8四飛をあげる。
藤井はインタビューで「△8四飛は意外でしたが、流れを断ち切っても最善を追求するという姿勢が、豊島竜王の強さのひとつだなと思いますし、自分も見習わなければいけない部分だと思います」と答えている。
だが、藤井は最後まで冷静だった。自陣の囲いを崩さず、持ち駒以外は前進させない。豊島は自陣角を打って桂取りを防ぎ、歩を打って銀の進出を防ぎと粘ったが、藤井は銀を引いて、金銀銀の手厚い構えを作って七番勝負を終わらせた。
なぜ藤井には「2年目のジンクス」がなかったのか
豊島は2018年に羽生から棋聖を奪って以来、王位戦(菅井竜也八段)、名人戦(佐藤天彦九段)、竜王戦(広瀬章人八段)、叡王戦(永瀬拓矢王座)と、タイトル挑戦に5連続で成功してきた。その豊島相手に4勝1敗で防衛とは、誰が予想しただろうか。