だが藤井は崩れなかった。
相穴熊戦では「金」の価値がきわめて高い。なので持ち駒の金は敵玉を仕留めるためか、自陣の穴熊を補強するために使うのがセオリーだ。ところが、藤井は玉から遠く離れたところへ飛車取りに打ったのだ。藤井将棋を称して「考え方が柔軟」とよく言われるが、この金打ちこそ、藤井将棋の柔軟さを示す妙手だった。この金で飛車をどかしたことで、あっという間に永瀬陣を崩壊させた。
こんな短期間に吸収するのは才能としかいいようがない
第2局、藤井は相掛かりを採用した。
DL流相掛かりは「後出しジャンケン」で、後手の玉形や端歩を見てから対応する。藤井は前例ある形からさらに欲張った新手を見せる。永瀬は咎めにいき乱戦となるが、戦型の理解度で永瀬を上回り、1時間も持ち時間を余して快勝した。
藤井が相掛かりを採用してまだ半年余りだが、これで7勝1敗。しかも、渡辺明名人、豊島、永瀬とタイトルホルダー3人全員から勝ち星を上げた。
佐々木勇気七段に29連勝で止められ、豊島に3連敗した相掛かり。それを藤井は短い期間で得意戦法に変えた。AIへの理解度の高さもあるが、こんな短期間に吸収するのは才能としかいいようがない。
渡辺は藤井将棋を評してストライクゾーンが狭くなった、打ち取れるゾーンが狭くなった、と野球にたとえて説明したが、相掛かりも自在に指しこなすのではたしかに穴がない。
かくして藤井と豊島による「夏の十二番勝負」は、令和の頂上決戦とでも称すべき「十九番勝負」となった。両雄は、今秋の王将戦リーグでも激突する。
ふと思い出した羽生の食事シーン
9月2日、対局の昼食休憩で藤井のとなりの席になった。藤井は、竜王戦から中2日で棋王戦の斎藤明日斗四段戦だった。やはりまだ19歳、線は細いし華奢だ。なのに対局姿はとても大きく見える。
藤井は弁当を一心不乱に食べ、10分ほどで食べ終わり、再開の20分前には対局室に戻った。1分1秒たりともおろそかにしない。休むという言葉は彼にはないのか? 私は腹ごなしに記者室によって、記者数人と前日の王座戦五番勝負第1局で永瀬王座が木村一基九段に逆転負けした話に。「永瀬さんも連戦で疲れがあったのかなあ」という話題から、「藤井さんは将棋の体力も図抜けていますよね」という話になる。これだけ連戦続きなのに、将棋のパフォーマンスがまったく落ちないのは驚異的だと。そういえば佐々木勇気も同じような感想をもらしていた。
その日、私は惨敗して帰宅。夜眠れないので羽生・森内のデータを調べていて、ふと羽生の番組を思い出した。「プロフェッショナル 仕事の流儀」での羽生の食事シーンだ。羽生がサンドイッチを一心不乱に食べているシーンが藤井に重なる。羽生が将棋連盟の控室の桂の間で休んでいるのを見たことがないが、藤井も同じだ。
9月13日には叡王戦五番勝負最終局を迎える。今後の将棋界の行方を占う勝負になる。