昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集観る将棋、読む将棋

2021/09/16

渡辺、豊島、永瀬のハードスケジュール

 渡辺の08年12月は、初代永世竜王をかけて羽生善治九段と死闘を繰り広げていたときだ。3連敗のがけっぷちから一番を返して、この12月を迎えた。果たして3連敗からの4連勝という大逆転で竜王を死守し、永世竜王の資格を得た。この防衛で力を使い果たしたわけでもないだろうが、12月の2敗は竜王戦終了後の2連敗である。

 そして20年2月は勝敗だけ見ると平凡だが、対局の内訳は王将戦七番勝負の対広瀬章人八段戦(1勝1敗)、棋王戦五番勝負の対本田奎五段戦(1勝1敗)、叡王戦挑戦者決定戦三番勝負の対豊島竜王戦(1勝2敗)、順位戦A級の対三浦弘行九段戦(1勝)と、ものすごく濃密な一月である。そして、叡王戦の挑戦こそ逃したが、王将と棋王はいずれも翌月に防衛を決め、A級では名人挑戦を果たしている。

 豊島の18年3月は、伝説の順位戦A級6者プレーオフが行われた時である。A級初参加の豊島は6勝4敗(この期は11人リーグ)と勝ち越しで終えたが、6勝4敗は豊島を含めて計6名いた。名人挑戦者を決めるプレーオフは3人以上だとパラマス形式で行われるため、順位が最も下位である豊島は、挑戦権に至るまでは「5人抜き」の必要があった。A級の猛者を相手にである。

豊島将之竜王 写真提供:日本将棋連盟

 それでも久保利明、佐藤康光、広瀬章人の強敵を連破したが、4局目で羽生善治に屈し、名人挑戦はならなかった。また、この3月は並行して久保との王将戦も戦っていたが、こちらも敗れてタイトル奪取はならず。豊島が自身の悲願を実現したのは、この4ヵ月後だった。

 20年秋の永瀬は、まずコロナ禍の影響やタイトル戦史上初の2局連続持将棋などもあり、叡王戦を長期にわたって戦うことになった。七番勝負が第9局にて決着を見たのが9月。そして叡王戦と入れ替わる形で始まった王座戦五番勝負でもフルセットの死闘となり、からくも久保利明を下している。そして10月には、王将戦の挑戦者決定戦リーグが3局あったのも大きい。その結果は2勝1敗だが、藤井聡太を下したのが大きかったか、自身初となる王将挑戦に結びつけている。一連のハードスケジュールについて「表現を求められたら、精神修行、としか言いようがないですね」と語ったのが永瀬らしい。

永瀬拓矢王座 写真提供:日本将棋連盟