戦っていたタイトル戦番勝負は十段戦(竜王戦の前身棋戦)と棋聖戦、そして王将リーグでプレーオフにもつれこんだというのは前述の谷川と同一のケースだ。大山の場合は、大みそか対局こそないが、18日に順位戦A級を指すと、19日に王将リーグ。これが不戦勝の1局だが、以降は21日、23日、25日、27日、29日と中1日の対局を5連闘(3勝2敗)である。十段戦は中原相手に0勝4敗で負かされていた(12日に決着)が、ここで1勝でもしていたら、それこそ対局のつけようがなかったのではなかろうか。
谷川の91年は75局(53勝22敗)、大山の75年は73局(48勝25敗)と、年間対局数としては多いほうだが、80局には至っていない。それでもこのような超ハードスケジュールの月が出てきてしまった。当時の大山は、まだ日本将棋連盟の会長にこそなっていなかったものの、現在の将棋会館の「将棋会館建設委員長」も務めていた。一体どうやって時間を作っていたのだろうか。まさに超人である。
今後、藤井に求められる「将棋界の顔」としての働き
現在の藤井聡太に話を戻すが、師匠の杉本昌隆八段に聞いた限りでは、将棋以外の仕事はほとんど入れていないそうである。ただこれからも勝ち続ければ、今以上に「将棋界の顔」としての働きが求められるであろうことは容易に想像がつく。コロナ禍が収まれば、将棋まつりなどのイベントも復活することが予想され、そちらへの出席も求められるだろう。
そして、現在のプロ将棋は、昭和あるいは平成時代の将棋と比べて、特に事前の準備が求められている。ただでさえ多忙な中でどうやって研究時間をひねり出すか。凡人からみると勝てば勝つほど悩みは尽きなそうだが、そのようなことを考える時間も藤井にとっては楽しいひと時なのかもしれない。
※藤井聡太三冠の2021年8月の対局数を「8局」としておりましたが、正しくは「9局」です。お詫びして訂正いたします(2021年9月16日18時追記)。