ありがたいことに、今年は計六冊もの書籍を刊行できそうだ。その五冊目、『やくざ映画入門』(小学館新書)が九月三十日に発売になる。
これさえあれば、やくざ映画の概略はとりあえず押さえることができる――という一冊を目指した。用語解説、作品の変遷、スターや悪役たちの名鑑などをコンパクトに凝縮した内容になっている。
そこでしばらくは、本連載でもやくざ映画について取り上げていくつもりだ。今回は『人生劇場 飛車角』。東映は一九五〇年代に大黒柱にしてきた時代劇を諦め、六〇年代半ばからは任侠映画路線へと舵を切る。その契機の一つとなった作品である。
鶴田浩二と高倉健は任侠映画路線を牽引することになる二大スターなのだが、本作はその両雄が「着流し姿の昔気質のやくざ」がよく合うことを知らしめた作品でもある。
舞台となるのは、大正時代の深川。主人公の流れ者のやくざ・飛車角(鶴田浩二)は、親分から受けた恩に対する義理を果たすため、愛する情婦のおとよ(佐久間良子)が止めるのを振り切って出入りに参加、敵の親分を殺害する。飛車角は警察に自首をし、収監されることになった。
飛車角が刑務所にいる間に、おとよは飛車角の弟分の宮川(高倉健)と、お互いの飛車角との関係性は知らないままに結ばれる。二人が気づいた時は、もう手遅れだった。出所しておとよと宮川のことを知った飛車角は、二人の前から姿を消すことにする。だが、かつての因縁が、飛車角と宮川に平穏な暮らしを送ることを許そうとはしない――。
やくざとしての義理を何よりも重んじるがために、個人としての幸福に背を向けて戦いに身を投じる。そんな、現代においてはもはやファンタジーでしかない――─だからこそ魅力的な――ストイックな生きざまを、鶴田・高倉ともに見事に演じ切っていた。
ただ、そのやくざ像は大きく異なる。憂いを漂わせ続ける鶴田は、どこまでも哀愁を帯びる。その一方で高倉は、朴訥として武骨。演じるキャラクターが俳優自身の特性にぴったりと合い、双方ともにこの上ないハマり役だった。そして、本作で演じたやくざ像が、東映が任侠映画を量産していく中で演じる際の基本的なイメージとなるのだ。
ただ、両雄ともに後の任侠映画で極端なまでのストイックなやくざ像を演じているのだが、本作ではそうではない。どちらも、おとよとの間柄の中で強い葛藤を見せている。だからこそ、メロドラマとしての盛り上がりもある。
任侠映画が本格化する前だからこその、ウェットな魅力も秘めたやくざ映画だった。