藤井聡太VS豊島将之の決戦も、いよいよ第3ラウンドの竜王戦七番勝負を迎える。王位戦では豊島の挑戦を下し、叡王戦では豊島からタイトルを奪った藤井は、史上最年少かつ10人目の三冠となった。タイトル戦初出場から負け知らずで5期連続獲得という快挙は、戦前の木村義雄十四世名人と並ぶ記録だ。

時代を下るごとに増えているタイトル戦の数

 1937年に第1期の名人戦が発足してから行われたタイトル戦の期数を合計すると、第34期竜王戦が466期目となる。そして当時から現在までのプロ棋士を概算すると350名ほどだが、このうち1期でもタイトルを獲得できた棋士は45名だ。

 そして、タイトルの獲得が2期以上となる棋士は32名だが、このうち同時に2つのタイトルを保持できた「二冠」の棋士は16名しかいない。達成順に挙げると大山康晴十五世名人、升田幸三実力制第四代名人、中原誠十六世名人、加藤一二三九段、米長邦雄永世棋聖、高橋道雄九段、南芳一九段、谷川浩司九段、羽生善治九段、佐藤康光九段、森内俊之九段、久保利明九段、渡辺明名人、豊島竜王、永瀬拓矢王座、藤井三冠となる。

ADVERTISEMENT

叡王を奪取して、史上10人目の三冠に 写真提供:日本将棋連盟

 さらに、当たり前だが「三冠」となればもっと減る。こちらは升田、大山、中原、米長、谷川、羽生、森内、渡辺、豊島、藤井だ。この10名の獲得タイトルを合計すると350を超えるので、将棋界のタイトルが、どれだけ時の第一人者に占められていたかがわかるものだ。

 ただ、タイトル戦の数は時代を下るごとに増えているので、昔の棋士と現在の棋士を同一に語ることはできない。例えば、木村十四世名人が獲得したタイトルは名人だけだが、木村全盛期の戦前には名人戦しかタイトル戦がなかったのだ。さらに名人戦ができる前の1930年には、平手18勝1敗、香落ち上手14勝3敗の勝率0.888と、現在の藤井もビックリの高勝率を残している。当時がもし現在のような制度だったら、間違いなく木村は複数冠確保はおろか、全冠制覇していたといっても過言ではないだろう。

生まれ故郷の倉敷を散策する大山康晴十五世名人 ©文藝春秋

過半数を占めた棋士が天下人と見られていた

 タイトル数以外の指標として、一つ考えられるのはタイトルの占有率である。例えば、升田の三冠が当時話題となったのは、それが「全タイトル独占」だったからだ。これは名人一冠時代を除けば、史上初の快挙である。タイトル独占を果たしたのは升田、大山、羽生だが、さすがにこれを基準に論ずるのはハードルが高すぎだろう。

 そこで上がってくるのが「四冠」という数字だ。現在の八大タイトルの内、半数を制するという意義は大きいし、長らく続いた七大タイトル制の時代でも、過半数を占めた棋士が天下人と見られていたと思う。過去の四冠達成者は大山、中原、米長、谷川、羽生の5名だ。

 藤井が竜王を奪取すれば、大棋士の系譜に連なることをまた新たな観点で証明することになるが、改めて「四冠」について考えてみたい。